魅惑の世界:無表情な能面が七変化!

観世寿夫 著『心より心に伝ふる花』
(白水社、1991年)

 能という芸能には全然詳しくない私ですが、通販のジャパネットたかたの社長だった高田明さんの『高田明と読む世阿弥』を読んで以来、世阿弥という人がどんな人だったのか、ということに興味をもってきました。今回は、戦後、能役者として活躍した観世寿夫さんが能楽を論じた本書を読んでみました。
 本書の著者、観世寿夫(かんぜ・ひさお)さんは能の名門流派である観世家に生まれ、能役者として活躍されました。世阿弥の子孫にあたります。
 本書を読んで私が特に勉強になったのは以下の3点です。

1. 能面の魅力

 「能面みたい」というのは表情がない様子を表わして、悪い意味で使われているように思いますが、能では役者の演技によって、能面に表情がいろいろに変化するという魅力があるのだと気づきました。本書で観世さんは、役者の内面のドラマを、能面を通じて表現する魅力について語ってくれています(93ページ)。
 また、能面だけでなく仮面というものが一種の変身願望を満たしたり、魔力や怪力など普通人とは違う能力を授けてくれるような気がしたり、といった効果があることも指摘されています(97ページ)。仮面を使うものには、秋田の「なまはげ」などもあります。能だけでなく、いろいろな芸能にも仮面があり、それはおそらく世界中にありますので、そういうものにも視野が開かれるような気がしました。

2. 世阿弥が理想とした能の姿

 世阿弥の理想とする能については、劇、音楽、舞踊の融合と本書で指摘されていました(144ページ)。能というものに「とっつきにくさ」を感じていましたが、劇、音楽、舞踊(ダンス)ということであれば、とても身近に感じました。そういう目で、今度、能を観てみたいと思いました。今はYouTubeでも能の動画がたくさん上がっていますので簡単に観れます。

3. 「離見」の意味

 世阿弥の言葉の「離見」というものが難しいと感じています。自分の主観が「我見」。自分を客観的に観ることが「離見」。では「離見の見」は? と3つを考えていたように思います。辞典で「離見」は「演者が観客の立場で自分の姿を思い描くこと」と解説されていますが、「離見」=「離見の見」という記述もあり、結局は2つなのかなとも思いました。
 本書には、世阿弥のいくつかの本で「離見の見」の使われ方や意味が異なっていると書かれていました(150ページ)。このあたりについては、今後も他の本を読んで勉強したいと思いました。
 本書は能役者の立場から論じられており、能を実際に演じる立場から、能の魅力が伝わってくる本だと思いました。特に能面について書かれた箇所はとても面白く読めました。

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