漢字にまつわるあれこれ(口に出すのは気がひけますが……)

阿辻哲次 著『タブーの漢字学』
(講談社、2013年)

古代中国の文字

 テレビ、ネット、新聞には漢字があふれ、それを当たり前のように読んでいます。漢字がもともとは古代中国(漢)の文字だったというのはふだん全然意識していません。本書『タブーの漢字学』の題名に惹かれて手にとってみました。「タブー」とは、言ったりしたりするのがはばかられることですよね……。

 本書の著者阿辻(あつじ)哲次(てつじ)氏は中国語学や漢字の文化史を専門とする研究者で、漢字に関する多くの著作があります。本書で解説されている漢字はとても豊富ですが、とくに印象に残ったものを3つピックアップしたいと思います。

1.「死」をめぐる漢字

 「死」という漢字は左側の《歹(ガツ)》と右側の《人》からなる会意文字(かいいもじ)だそうです。会意文字とは、2つ以上の文字の意味を組み合わせることです。そして《歹(ガツ)》は遺体の骨がくずれた形をかたどったもの。これに右側の「人」と合わせると「死」という文字は「すでに骨となっている遺体にむかって人がひざまずいて礼拝している形」なのだそうです(90ページ)。そして阿辻氏は「古代の中国では亡くなった人をしばらくは土に埋めず、風化して骨が少し欠けはじめるくらいまで安置しておき、やがてそれに別れを告げて埋葬していたようだ」と指摘しています。
 また、「葬式」の「葬」という文字は、「死」の上下を「草」ではさむようにできているが、これは古代中国で遺体が草むらに埋葬されたことを意味しているそうです(91ページ)。こうした埋葬の文化は現代人にはとても奇異に思えます。本書は漢字の成り立ちを知ることができるとともに古代中国の文化史を知ることもできます。

2.「排泄」をめぐる漢字とタブー


 お食事中の読者には申し訳ありません。「糞(ふん)」は《米》と《異》からできており、食べ物が体に入って異なる形になって出てきたとか、「屎尿(しにょう)」は人体を表わす《尸》から出る食べ物や水だとか(128~129ページ)。こりゃタブーですね。
 フランスのヴェルサイユ宮殿にもルイ14世の時代(17世紀)にはトイレがなかったにもかかわらず5000人を超える人が住んでいたというという話が出てきます(140ページ)。ではどうやって用を足したのか。それは蓋(ふた)のついた椅子、要は「おまる」という「家具」で用を足していたのだそうで、これは北京の故宮(こきゅう)である紫禁(しきん)城(じょう)でも同様なのだそうです(141ページ)。
 そして有名な官吏(かんり)の任用試験「科挙(かきょ)」の話。試験中は室外に出ることが許されないが、茶を飲む時と用便の時には1回に限って室外に出ることが許されていた。部屋を出る時、受験者は書きかけの答案用紙を係官に預け、「出恭入敬(しゅっきょうにゅうけい)」(出る際にはうやうやしく、入る際には礼儀正しく)と書かれた木の札を受け取って室外に出ることとされていた。しかし、解答時間が短くなることを嫌った多くの受験生は試験場内に「しびん」を持ち込んで小便をしたので、実際に室外に出るのは、ほとんどが大便のためだった。それで現代でも中国では「恭」という文字は「大便」をも意味するのだそうです(146ページ)。これはあくまで中国の話ですが。

3. 実名を呼ばれることがタブー

 かつての中国では実名(「諱(いみな)」)のほかに他人が自分のことを呼ぶために用意しておく別名「字(あざな)」というものがあったというのは聞いたことがありました。「三国志」の劉備(りゅうび)玄(げん)徳(とく)の場合「劉」が姓、「備」が「諱(いみな)」(=実名)、「玄徳」が「字(あざな)」です。
 この「字(あざな)」をつける習慣には、他人の実名を口にすることがタブーとされていたことから生じたと阿辻氏は指摘しています(176~177ページ)。他人が自分の実名を知り、それを口にしたり文字として書いたりすることで、自分の人格が相手に支配されたり、相手から呪いをかけられたりするという「言霊(ことだま)信仰」が古代中国には存在した。これが早い時期に日本にも伝わり、平安時代の成人男子は実名とは別の「あざな」を用いたのだそうです。それで「諱(いみな)」は「忌(い)み名(な)」(=タブー)を意味するのだそうです。

漫画『三国志』の読み直しに役立つ

 「三国志」の諸葛亮(しょかつりょう)孔明(こうめい)の「孔明」が「字(あざな)」だということの意味が本書を読んでよく理解できるようになりました。本書で得られた知識をもって横山光輝氏の漫画『三国志』に出てくる宮廷や城内の描写を読み直してみるのも面白そうです。また、「科挙(かきょ)」にまつわる仰天エピソードなども探せばいろいろ出てきそうです。調べてみたいと思います。

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