乳をもらう風習もあった!

沢山美果子 著『江戸の乳と子ども――いのちをつなぐ』
(吉川弘文館、2017年)

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 以前、沢山さんの著書『江戸の捨て子たち』(2008年)を読みました。今回は沢山さんが2017年に出した『江戸の乳と子ども』を読んで、江戸時代の子どもの保護について理解を深めたいと思いました。考えてみれば当然かもしれませんが、捨て子は親に捨てられたので母親に授乳してもらうわけにはいきません。また、粉ミルクもなかった時代です。どのように捨て子たちがいのちをつないできたのか、興味をもちました。

乳をめぐるネットワーク

 本書の著者、沢山美果子さんは教育・保育を専門とする歴史研究者です。その沢山さんが、保育園という場のない江戸時代を対象として研究していることが面白いと思いました。江戸時代には保育園はありませんが、子どもを育てる別のネットワークがあったことを沢山さんは当時の史料をもとに明らかにしています。それは、乳をめぐるネットワークです。沢山さんは「今のわたしたちは乳といえば、当たり前のように『母乳』と考える。しかし江戸時代には、いのちをつなぐことが重要であり、乳でありさえすれば、誰の乳かは問われなかった。」と述べています(194ページ)。

都市部では乳母

 沢山さんは著書『江戸の捨て子たち』の中で、徳川綱吉の生類(しょうるい)憐(あわれ)み令の後、捨て子を発見した場合に届け出をすることが各藩で定められたと述べています。幕府(ばくふ)や藩(はん)は捨て子を保護して育てようとして、捨て子の命綱(いのちづな)であった乳を探そうとしました。それは、乳が出るのは出産して授乳している女性か、出産後に子どもが死んでしまったのですが乳が出る女性です。そういう乳の出る女性を、乳母(うば)として雇ったり、貰(もら)い乳をしたり、ということが江戸時代には行われていたことが、本書では史料をもとに明らかにされています。主に都市部では乳母を雇い、農村部では貰い乳だったようです(195ページ)。そして、我が子を亡くした親たちは、乳が出るという理由で、捨て子を引き取って、家の跡継ぎにするということも行われていたそうです。

「母性」イデオロギーの時代へ

 こういう江戸時代の乳母や貰い乳の慣習(かんしゅう)は、明治・大正期には批判され、「母乳」で育てることの重要性が叫ばれるようになります。沢山さんは、それを「母性」イデオロギーと呼びます(198ページ)。「母性」イデオロギーの代表的論者として下田(しもだ)次郎(じろう)や小原(おばら)國芳(くによし)があげられています(198、200ページ)。2人とも明治・大正期に活躍した教育家ですが、沢山さんは本書で江戸時代の捨て子の保護や乳をめぐるネットワークに注目することで、この2人の有名な論者を批判的に捉え直しています。沢山さんは、「母性」イデオロギーは「女性一人ひとりの身体の多様性や、それぞれに異なる生のあり方を切り捨てていく」と批判し、また、「乳房を持たない父親の排除をもたらす」と述べています(200ページ)。
 

父親が授乳できる時代

 現代では粉ミルクが流通していますので、父親による授乳も可能です。私も何度も授乳したことを懐(なつ)かしく思い出しました。江戸時代には粉ミルクがなかった代わりに、乳母や貰い乳という慣習があり、子育てのネットワークがあったことを本書で知り、江戸時代の人々の生活に対する理解が深まったように思います。当時の史料の引用部分は読み仮名などが現在と違っていて難解でしたが、とても柔らかな文体で解説されており、文脈を理解することは難しくないと思いますので、本書を読まれることをおススメします。

過去記事もご参照ください!

https://hon-navi.com/?p=511

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