「健康」の意味内容は変化してきた!
北澤一利 著『「健康」の日本史』
(平凡社、2000年)
コロナ禍に入った2020年の春、「ステイホーム」が呼びかけられた頃は外出の機会が減って運動不足になりました。運動不足は特に高齢者には大きな健康被害を与えるのではないかという懸念がテレビなどで伝えられていました。YouTubeにはコロナ禍をのりきるストレッチや体操の動画が増えたように思います。
コロナ禍は健康の問題についていろいろなことを考える機会になりましたが、「健康とは何か」とは何かということを歴史的に論じた本書を読んでみました。
江戸時代は「丈夫」「健やか」という言葉で
本書の著者、北澤一利さんは医学思想史を専門とする研究者です。北澤さんは本書で、「健康」という言葉は江戸時代の人々は使っていなかったということに注目しています。「健康」という言葉は江戸時代の末期までは「健康」ではなく「丈夫(じょうぶ)」や「健(すこ)やか」という言葉を使うのがふつうでした(15ページ)。あの福沢諭吉でも、私たちなら「健康」と訳す英語の“health”を幕末の時点では「精神」などと訳しています(14ページ)。「健康」という言葉は江戸時代の日本語には定着しておらず、明治初期に多くの西洋文献が翻訳されるようになった時には「健康」のほかに「強壮」「壮健」「康健」などの言葉が使われて、翻訳は安定していませんでした。その状況から、長崎で西洋医学を学び、大阪で「適(てき)塾(じゅく)」を開いて多くの弟子を育てた緒方(おがた)洪(こう)庵(あん)の活躍があって徐々に「健康」という言葉が定着していきました(28ページ)。
「健康」は客観的に判定される
本書を読んで最も勉強になったのは、江戸時代まで多く使われていた「丈夫」や「健やか」と、西洋医学を起源とする「健康」との違いについての指摘です。「丈夫」や「健やか」は判定基準が主観的なのに対して、「健康」は判定基準が客観的だと北澤さんは指摘しています(34ページ)。「丈夫」や「健やか」は、「具合がいい」とか「気分がよい」という主観的な判断が重視さますが、「健康」は身体を診察して、解剖学や生理学をベースとした根拠にもとづいて客観的に判断し、すべてが「異常ではない状態」ということが重視されます。これは大きな違いだと思いました。
「からだ」に「気」がめぐっている
北澤さんは、江戸時代と明治以降の「からだ」に対する考え方に違いがあることも指摘しています。明治以降に「健康」という言葉で「からだ」の状態が表される以前の人々は、「からだ」に「気」がめぐっていると考えていました(137ページ)。江戸時代の有名な儒学者(じゅがくしゃ)で84歳まで生きた貝原(かいはら)益軒(えきけん)の『養生(ようじょう)訓(くん)』という書物などがその代表例です。「気」というのは、生きていくために必要な燃料のようなもの(141ページ)で、「からだ」が不調になるのは「気」が減ったり滞(とどこお)ってしまったりすることで、老化は「気」が減少したこと、死は「気」が全部なくなってしまったことだと考えられました。この「気」の理論は、「気」を客観的に測定してつくられた理論ではなく、「からだ」を重く感じたり、軽く感じたりといった主観的な経験からつくられた理論です。
徴兵制度や学校が客観的な判定を定着させた
この主観的な経験を重視する「気」の理論は、現在の日本でも完全に消えたわけではないと北澤さんは考えています(178ページ)。しかし、明治維新の後、優勢になったのは西洋流の「健康」の理論でした。明治政府が行った徴兵(ちょうへい)検査と学校での身体検査が、「からだ」を「客観的に見つめる」習慣を定着させていきました(182ページ)。しかも、最初は身長の測定だけだった徴兵検査の検査項目は、体重の測定、病気をもっているかどうか、虚弱(きょじゃく)かどうかにまで拡大されていきました(183ページ)。この徴兵検査について北澤さんは、「農家が出荷するトマトをみるように、傷はないか、形はいいか、色はどうか、発育しているか、においはどうか、といった項目で等級を決めるときのような視線」で「からだ」を序列化(じょれつか)するようになったと指摘しています(190ページ)。とても重要な指摘だと思いました。
本書を読んで、西洋流の「健康」概念にもおかしなところがあると気付きました。かといって江戸時代の「気」の理論だけに頼るのも不安です。やはり、この時代の発達した医療を信頼しつつ、かといって「序列化」される「健康」観に振り回されることなく毎日を過ごしていきたいと思いました。本書は、「健康とは何か」を掘り下げて考えてみたい人におススメの一冊です。