本能寺の変の黒幕は徳川家康か?

呉座勇一 著『陰謀の日本中世史』
(KADOKAWA、2018年)

大河ドラマ『麒麟がくる』は面白かった!

 本書を読んでみたきっかけは2020年のNHK大河ドラマ『麒麟(きりん)がくる』を観て、本能寺の変についての自分の中での興味が再燃したことです。明智健三郎『本能寺の変――431年目の真実』(文芸社、2013年)は非常に面白く読めたのですが、それとは違う見解、別の説(せつ)があるかもしれないと思い探したところ本書『陰謀(いんぼう)の日本中世史』に行き当たりました。

過去記事もご参照ください

本能寺の変は謎だらけ! 真相はどうだった?

明智憲三郎 著『本能寺の変――431年目の真実』(文芸社、2013年) 光秀=「裏切り者」というイメージ  「裏切り者」というのが明智光秀に対してもっていたイメージでした…

『応仁の乱』著者による「陰謀」の分析

 本書の著者、呉座勇一氏は日本中世史を専門とする歴史家です、著書『応仁の乱』が47万部のベストセラーになっています。
 本書『陰謀の日本中世史』の第6章は「本能寺の変に黒幕はいたか」と題されて、本能寺の変に関する諸説(しょせつ)が検討され、また、呉座氏の見解が論じられています。明智憲三郎氏の説も検討されており、とても興味深かったです。

明智憲三郎氏の説に対して


 呉座氏は明智氏の説について「本能寺の変関係の先行研究や史料をかなり広く見ている」とし「明智氏を家康黒幕(くろまく)説」の代表的論者と認めて良い」と高く評価しています(250~251ページ)。「黒幕(くろまく)」とは「かげにいて指図(さしず)した者」という意味です。明智氏は「信長による家康謀殺(ぼうさつ)計画」を知った光秀がこれを家康に知らせたうえで信長を討ったという説を述べています(明智憲三郎『本能寺の変――431年目の真実』参照)。
 もっとも先行研究では、徳川家康が本能寺の変に関与したという説は矢切(やぎり)止夫(とめお)氏がすでに唱えており、また、信長が光秀を使って家康を謀殺(ぼうさつ)しようとしたところ、光秀に逆利用されてしまったというアイデアも藤田(ふじた)達生(たつお)氏が既に述べており、家康黒幕(くろまく)説は明智氏の完全な独創(どくそう)というわけではないと呉座氏は指摘しています(250ページ)。本書では、このあたりの学説の整理も知ることができます。

史料『本城惣右衛門覚書』の解釈が重要!

 そして呉座氏は、明智氏の説で重要な部分に位置する「織田信長が徳川家康を殺そうとしていた」という主張について「単なる憶測(おくそく)の上に成り立っている」と批判しています(253ページ)。この立論(りつろん)に関して明智氏が用いた唯一の史料的根拠は『本城(ほんじょう)惣右衛門(そうえもん)覚書(おぼえがき)』です。この史料は本能寺の変に参加した本城惣右衛門という武士が当時を回顧して書いた覚書で、家康が京都にいるので家康を討つのかと思ったと語っているのです。たしかに光秀の兵たちは臨戦態勢で京都に入っており、本城惣右衛門のように「信長の命令で家康を討つ」と考えていたことを重視したのが明智氏の説の根拠になっています。

「敵は本能寺にあり」というセリフはなかった!

 しかし、呉座氏はこの解釈に疑問を提示します。そもそも光秀が「敵は本能寺にあり!」と叫んだという逸話(いつわ)そのものが後世(こうせい)の創作のようです(253ページ)。(おっと、大河ドラマ「麒麟(きりん)がくる」でも光秀役の長谷川博己さんのセリフにあったような気が……。たしか叫ぶというほど大きな声ではなかったように思いますが……。)
 呉座氏の見解はこうです。光秀の兵たち(本城惣右衛門を含む)は1万を超える大軍で京都に向かい、臨戦(りんせん)態勢(たいせい)で京都に入った。しかし、誰の首を狙(ねら)うのかは兵には直前まで伏せられていた。1万を超える大軍(たいぐん)で狙う大将(たいしょう)首(くび)は、当時の京都には家康か信長しかいない。光秀が主君(しゅくん)である信長に反逆(はんぎゃく)することは兵たちの想像を絶することだったので、本城惣右衛門は消去法で家康討ちだと考えたのではないか。
 呉座氏は「織田信長が徳川家康を殺そうとしていた」という明智氏の見解について、当時の状況などからすると考えにくいとし(251~252ページ)、信長の家康討ち計画の証拠を光秀が家康に示すことの困難さから、光秀が家康を味方に引き込むことも困難だとしています(254ページ)。このような呉座氏の検討には説得力を感じ、逆に明智憲三郎氏が『本能寺の変――431年目の真実』で展開した説は史料的な証拠不足が目立って、呉座氏に論破(ろんぱ)されているように思いました。読者のみなさんは、どちらに軍配をあげるかを考えながら、両氏の両者の説を比較検討してほしいと思います。呉座氏は、信長と息子の信(のぶ)忠(ただ)がわずかな手勢(てぜい)で京都に滞在するという情報をつかんだ光秀が「突発的(とっぱつてき)な単独犯行」に及んだと自説(じせつ)を述べています(245ページ)。

いくつもの陰謀が分析される


 本能寺の変は「戦国時代最大のクーデター」とも言われ、謎が多く、「ミステリー」という感じもします。いろいろ楽しめるテーマなのですが、「敵は本能寺にあり!」と光秀が叫んだという逸話(いつわ)など、後になってストーリーが創作(そうさく)されたという部分も大きいようです。大河ドラマなどで想像をふくらませつつ、きちんとした史料批判にもとづいた歴史研究の成果の積み上げを確かめる姿勢も重要だと感じます。
 今回は本能寺の変を扱った本書の第6章に焦点をあてましたが、『陰謀の日本中世史』には源平の合戦から関ケ原までを含む中世全般の陰謀(いんぼう)について詳しく検討されています。これからも歴史ものを楽しんでいきたいと思います。

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