本能寺の変は謎だらけ! 真相はどうだった?

明智憲三郎 著『本能寺の変――431年目の真実』
(文芸社、2013年)

光秀=「裏切り者」というイメージ

 「裏切り者」というのが明智光秀に対してもっていたイメージでした。戦国時代を勝ち抜き、天下統一を進めた信長、秀吉、家康という「戦国の三英傑」の先頭を走っていた主君、信長に謀反(むほん)を起こしたが「三日天下」と言われるほど短期間で秀吉に天下を奪われた情けない武将という印象をもっていました。一方で「本能寺の変」には「なぜ信長が少ない手勢で寺に泊まっていたのか」ということなどの疑問をもっていました。
 2021年のNHK大河ドラマ「麒麟(きりん)がくる」では俳優、長谷川博己さんが光秀を演じ、それまでの光秀に私がもっていた「裏切り者」という暗いイメージが大きく変わりました。「頼もしくて信頼のおける知将」だったのではないか。大河ドラマ「麒麟(きりん)がくる」をきっかけとして、光秀と「本能寺の変」についてもっと知りたいと思っていたところ、この本に出会いました。

信長の真のねらいは?

 本書の著者、明智憲三郎氏は明智残党(ざんとう)狩りの手を逃れた光秀の子・於寉丸(おづるまる)の子孫だそうです。その彼が光秀の人物像や「本能寺の変」の前後の状況について、彼なりの史料分析をもとに解き明かした成果が本書にまとめられています。
 第1のポイントは「唐(から)入(い)り」。つまり、天下統一を進めた信長が、その後に中国大陸に攻め入る構想をもったことを光秀が知り、その流れが進めば光秀は海の向こうの異国の地で戦い続けることを余儀(よぎ)なくされると悟ったこと。これこそ光秀が「本能寺の変」を起こした動機だと本書では述べられています(139ページ)。

本能寺で家康を討つ?


 第2のポイントは信長が長年の同盟者である家康を本能寺で討(う)とうとし、その実行者として光秀が指名されたのではないかという本書の指摘です(172ページ)。確かに「本能寺の変」が起こった1582年、甲斐(かい)の武田氏を滅ぼした信長は、同盟者の家康を安土城(あづちじょう)に呼び饗応(きょうおう)した後、京都見物を勧めて本能寺に呼ぶという行動をしています。信長は家康を油断させるために少ない手勢だけで家康を本能寺に呼び出し、光秀に家康を討たせる計略(けいりゃく)だったのだが、信長の「唐入(からい)り」を止める必要を感じていた光秀は家康ではなく信長を討った、と本書では述べられています。私はこのようなことは全く考えたこともなく、教科書や歴史漫画でも読んだことがなかったので本当に驚きました。

まるで「歴史ミステリー」

 「本能寺の変」の前後の時期に、秀吉や家康がどのような行動をとったのか、彼らは光秀の謀反(むほん)の意思を知っていたのかどうかなどの考察もあり、本書はさながら「歴史ミステリー」のようなスリリングな展開を楽しめる一冊です。もっとも、本書が行っている主張の信憑性(しんぴょうせい)については他の歴史研究の成果と合わせて慎重に検討する必要があると思います。信長の「唐入(からい)り」構想や光秀謀反の動機についての史料的な根拠は本当にあるのか。この点には疑問も残ります。本書の説を批判的にとり上げている呉座(ござ)勇一(ゆういち)氏の『陰謀(いんぼう)の日本中世史』(角川書店、2018年)などとも併せて読むことをオススメします。

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