日本古来の健康法=養生
西平直 著『養生の思想』
(春秋社、2021年)
健康法を思想史的に読み解いた本
以前、江戸時代に健康法を論じた貝原益軒の『養生訓』を読んだことがありましたが、今回は益軒を代表格とする養生について思想史的に考察した研究書である本書を読んでみました。
本書の著者、西平直(にしひら ただし)さんは教育学や死生学を専門とする研究者です。
一種の自己形成
本書は、一般的には「病気にならないための生活上の心掛け」とされる養生について、思想史の視点をベースとしながら、実にさまざまな角度から検討を加えています。養生を述べた論者としては最も著名な貝原益軒の「前後左右」に位置する論者や思想を知ることができる著作だと思いました。益軒の「前」とは古代中国の道家や儒家などの養生思想、「後」とは明治以降に西洋医学が主流となる中での日本の養生思想、そして、現代の「ホリスティック医学」です。また、「左右」とは「稽古」「修養」「修行」などの概念や実践です。
養生と医学は別だった
本書を読んで分かったことの1つは、養生は健康法に関する思想なので医学に近いようにも思われるが、実際は医者から治療してもらうわけではなく、自分で自分をケアするという点で医学とは異なっている、ということです(3ページ)。たしかに、現代人も疲れをとったり、軽い風邪を治したり、ということはお医者さんにかからないで対応しています。この自分に対するケアが養生なのだと分かりました。
そして、自分に対するケアとは「いた(労)わる」「休ませる」「養う」という日本語に相当するものだとも説明されています(3ページ)。ただし、養生には「鍛える」あるいは「トレーニングする」ほど身心への負荷は強くない点で「修行」や「稽古」とは異なるという説明(3ページ)も「なるほど」と思いました。むしろ、養生は「病後の静養や老後の健康管理を含んだ柔らかな感触」であって「老いの知恵」と呼ばれることもある(4ページ)。このような特徴から、養生は人生前半の関心事ではなく、「青年には似合わない」と西平さんは指摘しています(132ページ)。
西洋医学の波に飲み込まれる
本書を読んで分かったことの2つ目は、明治以降の西洋医学の興隆に対して養生は分が悪かったということです。養生は本来、医学とは異なる要素が強いのですが、西洋医学が主流になり、政府が「衛生」を重視するようになると、漢方医学に近いものと理解されるようになっていきました(147ページ)。そして、漢方医学の弱点は、解剖学に疎いことや伝染病への対応が弱いことです(146ページ)。幕末から明治維新期にコレラという感染症が爆発しましたが、この時期に養生は一挙に時代遅れとなって第二次世界大戦後まで表舞台から姿を消すことになり、これに代わって明治政府は、西洋医学や衛生学に依拠して伝染病対策を柱とする学校保健を整備しようとしました(165ページ)。
自然治癒力への注目
さて、本書を読んで分かったことの3つ目は、現代の医学や健康に関する場面でも養生という言葉が使われているということです。明治期から第二次世界大戦までの間にいったん表舞台から姿を消した養生が、戦後の社会では復活したと考えてよさそうです。特に人間の自然治癒力に着目する「ホリスティック医学」は、貝原益軒の『養生訓』と深く結びついていると西平さんは指摘しています(188ページ)。大きな病院を拠点にして国民に提供される現代の医療に対する不満や問題意識が人々の間にあることはたしかだと思います。この文脈から「代替医療」や「統合医療」の必要性が主張されています。「ホリスティック医学」は病気や故障の回復というレベルを超えて生老病死そのものを問い直す視点から提唱されています(187ページ)。この「ホリスティック医学」に益軒などの養生の思想が重なり、イメージを提供しているというのはたいへん興味深いと思いました。
本書では、養生の古代中国からの影響がかなりのボリュームで論じられていますが、この部分は今回、あまり吸収することができませんでした。今後、このあたりの背景となる知識とともに勉強していければと思いました。