裁判記録から分かる女性の犯罪(江戸時代)
妻鹿淳子 著『犯科帳のなかの女たち――岡山藩の記録から』
(平凡社、1995年)
昭和のテレビ番組で「鬼(おに)平(へい)犯科帳(はんかちょう)」という時代劇ドラマが放送されていました。「犯科帳」というのは広く刑事裁判の記録を指すと思いますが、江戸時代の女性犯罪にはどのようなものがあったのか、興味があって本書を読んでみました。
岡山藩の記録から
本書の著者、妻鹿(めが)淳子(あつこ)さんは日本近世史を専門とする研究者です。本書の「奥付け」の著者紹介には中学・高校の教員もされていたことが記されています。
本書の特徴は、岡山藩の公式記録からこの地方の犯罪の様子を明らかにしていることで、特に女性が絡んだ犯罪に焦点があてられています。
本書を読んで、まず大事だと思ったのは、妻鹿さんの次のような指摘です。
「近世の女性のライフ・サイクルは、武家の女性と庶民の女性のなかにおいても上層と下層の女性では大きな違いがあり、それぞれの身分や階層によって実にさまざまである。」(16ページ)。
江戸時代は士農工商という身分によって生活ぶりがかなり違うということは、現代人にはどうしても実感がわきにくいように思いますし、同じ身分でも上層と下層では大きく異るという指摘は重要だと思いました。
「乳持ち奉公」という手段がある
そして、以前、沢山美果子さんの『江戸の乳と子ども』を読んで、この時代の子どものいのちをつなぐ重要なセーフティネットとして乳母(うば)や貰(もら)い乳(ちち)の風習があったということが行われていたということを知りましたが、本書『犯科帳のなかの女たち』にも、これと関連することが出ていて、とても興味深かったです。妻鹿さんは「犯科帳」に出てくる「乳持(ちちもち)奉公(ぼうこう)」という言葉を次のように説明しています。
「乳持奉公」とは、武家や町屋の裕福な家の乳母として、出産後、自分の乳を奉公先の乳児にあたえるために出かける奉公のことで、その多くは貧しい庶民の女性がなった」(32ページ)
乳母として雇われることが「乳持奉公」という言葉で表現され、貧しい庶民の女性が「乳持奉公」するということは知りませんでした。
本書には、「犯科帳」に書かれている実際の犯罪の例が多く紹介されていますが、「乳持奉公」が出てくるのは1686年の犯罪です。ある女が夫からお金をもらうことができず、経済的に苦しくて乳児を育てることができず、わが子を池に投げ入れて殺害したのだそうです。岡山藩は、この女に対して貧しくても「乳持奉公」でもしてわが子を育てる手段はあるはずなのに、池に投げ入れて殺すとは非道であるとして刑罰を科したということです(229ページ)。
刑罰が近代化されていない
その刑罰というものが驚きでした。女は耳と鼻を削(そ)がれ、その夫は片耳を削(そ)がれるという刑罰です。死刑ではなかったようですが、かなり残酷な刑罰だと感じました。江戸時代というのは、刑罰の分野も近代以前だったのだなと改めて思いました。
現代の子育て支援は?
それから、本書の指摘のなかで、江戸時代は社会的弱者に対する救済の機能が極めて弱くて、経済的に苦しい下層の女性は、その日の生活を成り立たせるために犯罪に手を染めてしまうということが書いてありました(253ページ)。下層の女性は、盗みだけでなく子殺しや捨子をして処罰されていますが、それは子どもが女性の生活の「足手まとい」になってしまうという当時の状況があったということだと分かりました。現代の福祉行政や保育所など、働く女性をサポートする仕組みは幼い子どものいのちも守っているので重要だと思いました。
本書を読んで、裁判記録を史料として、その時代の人々の生活の様子がかなり分かるということを知りました。岡山藩のほかにも日本全国にいろいろな記録が残っているのではないかと思いますので、他の藩や地方の様子も知りたいと思いました。関連する本を探して読んでみたいと思います。