時代とともにヒトの出産は変わる!

杉立義一 著『お産の歴史――縄文時代から現代まで』
(集英社、2002年)

 10年以上前ですが、いろいろな職業の達人たちを紹介する「プロフェッショナル」というNHKの番組で助産師の回があったのですが、その助産師は自ら助産所を運営しながら自宅での出産を手助けしていて、「現代でも自宅出産ってあるんだ」と少し驚いた記憶がありました。本書のサブタイトルは「縄文時代から現代まで」となっていますので、病院がなかった時代の出産などが分かると思い、本書を読んでみました。

サルは助産の必要がない

 本書の著者、杉立義一さんは産科医で、産科医院を開業する傍(かたわ)ら医学史の研究もされ、『京都の医学史』という著作で1980年に毎日出版文化賞特別賞を受賞されています。
 本書の序章はヒトとサルの出産を比べた章ですが、サルの出産はだいたい1時間ぐらいで、誰の手も借りずに、ひとりで分娩を終える(13ページ)ということに少し驚きました。人間のように助産師は必要としないのですね。考えてみれば、これはサルだけでなく他の動物でも同じで、人間だけが特殊なのかもしれません。その他、母ザルは胎盤(たいばん)を自分で引っぱり出して、それを重要な蛋白源(たんぱくげん)として食べてしまうことが多く、これは他の陸生哺乳類にもみられることなど、今まであまり意識していなかったような知識が得られました。

ヒトの助産は縄文・弥生時代から


 さて、ヒトの場合ですが、縄文・弥生時代の出産のことは記録などが不足しているため実態が分かっていないことが多いようです。杉立氏は、この時代から、お産のときの女性どうしの助け合いがあったものと推定しています(18ページ)。
 平安時代から鎌倉時代にかけて文学や絵画などに出産についての記述や描写が残されるようになります。この時代の絵に描かれたお産の様子から分かることは、①出産の姿勢は「しゃがんだ姿勢」の「坐産(ざさん)」、②出産を介助する人が2~4人、③家族、地域の人々に公開されている、④出産の場に医師の姿はない代わりに僧(そう)や巫女(みこ)がいる、ということです(88ページ)。これは身分の高い人々の出産の場合、ということでしょうが、現代と違うことが多くて興味深いものでした。特に④は、安産(あんざん)を祈ることがとても重視されていたことを表していると思います。

産婆の呼び名が38種類も


 江戸時代になると記録の数が増えるようです。江戸時代の文献では、出産を介助する「産婆」の呼び名が38種類あったそうです(187ページ)。たとえば中国の医書からとられた「坐婆」「穏婆」「看産人」など。また、日本の呼び名は地方によって異なり、「こやすばば」「てんやくばば」「ことりばば」「とりあげばば」など。

日本では坐位、西洋では椅子


 お産のときの体位には大きく分けると①立位(りつい)、②坐位(ざい)、③臥位(がい)、④四つん這(ば)い、の4つがありますが、縄文時代の土偶から推定するとこの時代は②の坐位、平安、鎌倉の絵巻でも②の坐位だったとしています。この坐位のバリエーションとして、天井から綱をたらしてこれにつかまり、背後から介助者に抱いてもらいながらお産する方法が江戸時代の半ば頃まで主流だったとのことです(193ページ)。
 これに対してヨーロッパ各国では、紀元前から中世を通じてお産用のイス(分娩椅子)が使われていたそうです。イスは木製だったようですが、堅くて窮屈なイスに長時間坐(すわ)ってお産することには批判があり、フランスの名医モリソがイスに替えてベッドでのお産を推奨した頃から、病院での分娩(ぶんべん)台(だい)での出産が広まっていったということです。こうした西洋式の出産が幕末・明治期にかけて日本にも入ってきて現在に至るというのが大まかな流れだということが分かりました。

ヒトという動物は特異なのか?

 サルが自分一人で出産をし、他の動物もそうだとすると、地球上の生物の中で人間だけが出産の手助けをしているということに気づきます。病院での出産だけでなく医療行為というものも人間社会に特有のことなのではないかという視点で、医療や保健に対して人々が行っていることを眺めてみることも、このコロナ禍の時代にあっては大事なことかもしれないと感じます。医療・保健に関する他の本も読んでみたいと思いました。

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