法律とは違う! 校則というルール
西郷孝彦 著『校則なくした中学校 たったひとつの校長ルール』
(小学館、2019年)
以前、『日米比較を通して考えるこれからの生徒指導』という本の中に本書が紹介されていて、とても気になりましたので入手して読んでみました。
本書の著者、西郷孝彦さんは東京の世田谷区立桜丘中学校の校長を2010年から10年間務められました。その間に、この学校の校則をなくしただけでなく、定期テストや宿題もなくしてしまったのだそうです。なかなか信じがたいことですが、本当にそんな中学校があるようです。本書は、このような改革をした西郷さんが、学校が変わっていく実際の様子を知らせてくれている本です。
校長と教員が議論を重ねて
本書の「はじめに」に書かれていますが、西郷さんは「すべての子どもたちが3年間を楽しく過ごせるにはどうしたらいいか」ということばかりを考え続けた結果、校則も定期テストも宿題もなくしてしまったのだそうです。
このような桜丘中学校を紹介する記事が週刊誌に掲載された際には、学校に批判的な意見の電話がたくさんかかってきたそうです(39ページ)。また、教員の側からも校則違反に対して厳しく対応するのが当然という意見があったそうです。しかし、西郷さんが校長になってから、どうしてその校則があるのか? 本当にその校則は必要か? ということを教員や生徒とともに議論し合った結果、校則がなくなっていったのだということです(39ページ)。最初は朝礼の時、生徒がざわついている声と教員の怒鳴り声が飛び交っていたそうですが、西郷さんは、生徒が騒ぐのは校長である西郷さんの話がつまらないからだと考え、「生徒がざわついてもかまわないから」「上から目線で生徒を威圧するのはやめましょう」と教員に言ったのだそうです(45ページ)。これは、なかなかできることではないと思いました。
「中学生らしさ」という思い込み
あるいは《靴下の色は白とする》という校則。この校則の必要性について西郷校長は生活指導主任に質問し、その答えが「汚れがすぐに分かるから」と返ってくると、「では、なぜセーターの色は紺とする」という校則になっているのかと質問したそうです(51ページ)。すると生活指導主任は「あまり派手にならないようにするため」と答えたそうです。西郷校長は、「では、派手でないセーターなら黒でもよいのではないか?」と返していったそうです。
これは一例ですが、教員の側の「中学生らしさ」に対する思い込みを解きほぐすような議論を1つ1つ積み重ねていった結果として、桜丘中学校では校則がなくなったのだそうです。
ただし、西郷さんは「校則はなくても法律はある」と指摘しています(57ページ)。この指摘はとても重要だと思いました。校則という特殊なルールがなくなると、まったくの無法地帯になるというわけではないのです。そうではなくて、学校に社会のルールである法律が適用されるようになる。校則のある一般的な学校は、法律とは異なる特殊なルールである校則によって生活指導が行われている状態なのです。そして、靴下やセーターなどの服装に関するルールにみられるように、いつの間にか作り上げられた「中学生らしさ」という一種の思い込みが校則には染み付いていると思いました。私が本書を読んで得た最大の気づきは、このことでした。
西郷さんは次のように述べています。
「それまで、校則があるばかりに、教員は生徒が校則違反をしていないかどうか、目を光らせていなければなりませんでした。校則を守らせるために、威圧的に締め付けることも行われていました。生徒たちからすれば、『中学生らしく』といった曖昧で理不尽なルールで高圧的に締め付けられ続けるわけです。」(61ページ)
西郷さんのこの言葉はとても納得できました。
「自分がされて嫌なことは、人にしない」
さて、本書の題名の後半にある「たったひとつの校長ルール」ですが、それは本書の「はじめに」に書かれていた「すべての子どもたちが3年間を楽しく過ごせるにはどうしたらいいか」ということですが、この考えは2015年に公開されたドキュメンタリー映画『みんなの学校』で取り上げられた大阪市立大空小学校のたった1つのきまりである「自分がされて嫌なことは、人にしない、言わない」という方針を西郷さんなりに解釈し直して桜丘中学校に適用したものだそうです(75ページ)。この「自分がされて嫌なことは、人にしない」というのは、やはり大事なことだと私も思いました。
本書を読んで、校則のない中学校が日本に実在するのだという驚きと、「中学校はこうあるべき」「中学生らしさ」といった思い込みは自分にもあるということへの気づきが得られました。二宮皓さんの『こんなに厳しい!世界の校則』では日本以外の国の厳しい校則に驚きましたが、本書では法律とは異なる特殊ルールである校則を考え直す視点が得られると思いました。