監督・脚本・スタッフの交代なんでザラ:スタジオジブリというシビアな世界

鈴木敏夫 責任編集『スタジオジブリ物語』
(集英社、2023年)

 500ページを超える、内容盛りだくさんな本書『スタジオジブリ物語』のレビュー第2弾です。今回は宮崎駿さんの「人となり」と周囲のスタッフとの関係性が垣間見える箇所を3か所抽出してみました。

1. 『魔女の宅急便』の監督交代→宮崎監督へ

 1つ目は、1989年公開の『魔女の宅急便』制作時です。当初は宮崎さんが本作のプロデューサーを務め、若手監督を探して片渕須直さんと内定しました。そしてシナリオライターは一色信幸さん。
 ところが、一式さんによるシナリオが完成すると、宮崎さんの考えていたテイストとズレがあることが判明(69ページ)。シナリオライターは宮崎さん自身に交代となりました。
 また、監督についても鈴木敏夫さんと宮崎さんの話し合いによって、宮崎さんに交代となっています。片渕さんは演出補に「降格」となりました。
 よい作品を作るための判断なのだと思いますが、シビアな世界だなと思いました。

2. 劇中歌の歌詞をめぐって近藤監督と宮崎プロデューサーが怒鳴り合い!?


 2つ目は、1995年公開の『耳をすませば』制作時です。この時、宮崎さんはプロデューサー・脚本・絵コンテを務め、監督には近藤喜文さんが抜擢されました。近藤さんは宮崎さんと長年の仕事仲間のアニメーターです。
 作品の中で流れる英語の歌「カントリー・ロード」に、日本語訳をつける必要が出てきた時、監督の近藤さんとプロデューサーの宮崎さんとが怒鳴り合いの衝突をしたのだそうです(157ページ)。後で聞くと近藤さんは自身の人生と重なる日本語の歌詞を主張していたそうですが、宮崎さんに押し切られたのだそうです。

3. 『アリエッティ』制作時:米林監督を鈴木さんがマンションにかくまう

 3つ目は2010年公開の『借りぐらしのアリエッティ』の制作時です。監督は米林宏昌さんです。宮崎さんは本作の企画や脚本づくりに関わっていましたが、監督は若手の米林さんでした。作品の骨格部分となる絵コンテを米林さんが自分でやると宣言すると、宮崎さんは「よし、お前は男だ。俺は手も足も出さない」と答えたそうです(368ページ)。

 でも、この宮崎さんの発言は絶対守られないと周囲は分かっていたので、鈴木敏夫さんがあるマンションの一室を借りて米林監督を隔離したそうです。

 宮崎さんは作画や脚本づくりの実力がズバ抜けており、実績もありますので、どうしても口を出してしまうのだなと思いました。ただ、周囲のスタッフが宮崎さんを抑えるのに苦労している様子が本書からは伝わってきます。
 今回は、このような宮崎さんの介入の様子を取り上げましたが、私は宮崎駿さんと宮崎アニメの大ファンです。念のために付け加えておきたいと思います。

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