(ジブリ)鈴木敏夫プロデューサーは「パラレル・キャリア」の先駆者!?
鈴木敏夫 責任編集『スタジオジブリ物語』
(集英社、2023年)
500ページを超える、内容盛りだくさんな本書『スタジオジブリ物語』のレビュー第8弾です。今回は鈴木敏夫さんの「2足のわらじ」についてです。
宮崎駿監督の『風の谷のナウシカ』が公開されたのが1984年、スタジオジブリが活動を開始したのが1985年です。この時期の鈴木敏夫さんと宮崎駿さん、高畑勲さんとの交流からスタジオジブリが誕生しました。このあたりの経緯が本書の第1章に書かれています。この部分を読んで私は鈴木敏夫さんの活動がまるで「2足のわらじ」のようだと思いました。
鈴木さんは、この時期、徳間書店発行のアニメ雑誌『アニメ-ジュ』の副編集長でした。鈴木さんは1978年から宮崎、高畑両氏と雑誌の取材で接触し始め、1981年には雑誌の特集「宮崎駿 冒険とロマンの世界」を割いて掲載しています。この特集は31ページものボリュームだったそうです(11ページ)。驚きです。
この特集用に宮崎さんから『アニメージュ』側に提供された絵の中には、まだ番組や映画になっていない映画企画用のものが多数あったそうで、これをもとに『アニメージュ』編集部が企画書をまとめて徳間書店グループの映画企画会議に提案したのだそうです(12ページ)。
この点からすると、雑誌『アニメージュ』の副編集長の鈴木さんは、宮崎さんの絵をもとにして映画の企画書をまとめています。つまり、この時が鈴木さんの映画プロデューサーとしての初仕事だったのではないかと私は思いました。つまり鈴木さんは「2足のわらじ」で仕事をしていたのです。
鈴木さんは「雑誌編集者」と「映画プロデューサー」という2つの顔をもって、宮崎さんと接していたのだと思いました。
最近になって「副業」が注目されています。鈴木さんの仕事ぶりは「副業」、「パラレル・キャリア」の先端を行っていたようにも思いました。