アメリカ人の目に映る日本の体罰問題

アーロン・L・ミラー 著『日本の体罰――学校とスポーツの人類学』
(共和国、2021年)

「暴力根絶」を掲げる日本の競技団体

 2013年に、女子柔道の国際試合強化選手に対して指導者が暴力をふるった事件が発覚しました。2018年には女子体操のオリンピック選手がコーチから暴力を含むパワーハラスメントを受けたと告発しました。それ以前にも高校野球の甲子園出場校の野球部内で体罰があったことがたびたび報じられています。各種の競技団体は「暴力根絶」を目標に掲げるようになったことは一歩前進ですが、暴力・体罰はなくなっていないのが現状のようです。日本のスポーツ界の文化についてアメリカ人が論じた本書を新聞広告で見つけて読んでみました。

 

星稜高校時代の松井さんは目をそむけなかった

 本書の著者、アーロン・L・ミラーさんは文化人類学を専門とする研究者です。2002年から日本でいわゆるALT(英語教育補助員)として日本の教育現場を観察しながら、学校教育や部活動の体罰問題を研究した成果が本書です。原著は2013年で、2021年に日本語に翻訳されました。
 本書で目を引くのは、体罰・暴力事件に関する事例の引用の豊富さです。たとえば、元プロ野球選手で読売ジャイアンツやニューヨーク・ヤンキースでも活躍した松井秀喜選手の高校時代のエピソードもとても興味深いものでした。松井氏は石川県の星稜高校の野球部に所属していましたが、この時の監督は選手全員に体罰をしていたそうです。監督に殴られた選手たちのほとんどは顔をそむけたそうですが、松井は顔をそむけませんでした(240ページ)。松井氏は身長が188センチ、体重が95キロぐらいだったそうですが、この規格外の大きさの男を殴るのは監督も勇気が必要だったのではないかと想像します。松井氏を殴ってにらみ返されたら恐怖を覚えるのではないかと思います。

体罰を正当化する理由


 本書の著者ミラー氏は、日本のスポーツ指導の場面で体罰が正当化される理由を検討しています。体罰が正当化される理由の1つは、「生徒が殴り返すことができない(あるいは、できるのにしない)ところから生じる」というものです(239ページ)。もし、松井秀喜氏が監督を殴り返すようなことがあったら、監督は体罰をやめただろうという予測も成り立ちます。
 体罰正当化に使われる言葉の1つに「指導」があるとミラー氏は指摘しています(187ページ)。日本では「指導」はポジティブな意味として使われることが多いと思いますが、これは「年長者の経験およびその結果としての知恵を敬い、それに価値を置く日本のような社会」が「指導」という言葉にポジティブな意味を見出しているとミラー氏は指摘しています(187ページ)。

「根性」に該当する英語は?


 その他にも「躾(しつけ)」や「根性」も体罰正当化に使われる言葉です(187、191ページ)。アメリカ人のミラー氏は、これらの言葉を英語に置き換えようとしますが、これに直接に相当するような言葉は見あたらないようです。日本語と英語の単語が一対一で対応させることは難しい。そこに文化的な違いが表れます。「根性」は英語では「ファイティング・スピリット」「ガッツ」「意志力」などに相当するようですが、これらの言葉は少し古い言葉のような気がして、どこか気恥ずかしさを感じてしまいました。
 本書では、「体罰」という言葉のあいまいさ、定義の混乱についても論じられています(293ページ)。そもそも体罰は法律で禁止されているのですが、現実には体罰が用いられ正当化される大きな原因は、「体罰」の定義のあいまいさにあるということをミラー氏は丁寧に論じています。

アメリカでも体罰は問題に

 本書には、「補論」としてアメリカにおける体罰問題が詳しく論じられています。アメリカでも体罰批判と体罰肯定論の両方があるようです。日米のスポーツ文化を比較する視点も鋭く、好著だと思いますので、オススメします。

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