「お墓」にも歴史があります!

岩田重則 著『「お墓」の誕生――死者祭祀の民俗誌』
(岩波書店、2006年)

 そういえば最近、お墓参りに行ってないなと思います。ここ数年のコロナ禍で実家に帰省するのが難しいのが最大の原因です。それ以前はお盆と正月に帰省してお墓参りをしていました。子どもの頃、お盆の仏壇にナスときゅうりに割り箸をさした馬と牛が供えられるのを不思議に感じた記憶もあります。そんな風習の由来について知りたいと思い、本書を読んでみました。

お盆の儀礼のフィールドワークから

 本書の著者、岩田重則さんは民俗学の視点から主に「お墓」を研究しています。
 本書ではまず、お盆の儀礼についての考察が行われます。「迎え火」「送り火」を何日の何時に行うのか、松明(たいまつ)の焚き方など日本各地で違いがあることを民俗学はフィールドワークによって明らかにしてきました。
次に考察されるのは墓石(ぼせき)です。お墓には石の塔が立てられていることは多いですが、岩田氏は石に「〇〇〇〇居士(こじ)」「〇〇〇〇大姉(だいし)」と戒名(かいみょう)が刻まれており、「石塔は明らかに仏教的存在である」と述べています(88ページ)。今度お墓参りをする時にはじっくりと石塔を眺めてみたいと思いました。
 岩田氏は、もともと外来文化であった仏教が「葬式仏教(そうしきぶっきょう)」として民間に根づくまでに特に江戸時代のキリシタン禁圧があったと指摘しています(90ページ)。江戸時代には、家単位でひとりひとりが仏教寺院の檀家(だんか)であることが「宗門人別帳(しゅうもんにんべつちょう)」に登録されることによって、キリシタンではないことが証明されるという仕組みがとられ、これが一種の「戸籍」の役割を果たしたということです。「お墓」の話がキリシタン禁圧の話に展開していったのが少し意外でした。

発掘調査から分かること


 「お墓」の研究では江戸時代以前のことに関しては、考古学で行われている発掘調査の成果も活用されているそうです(129ページ)。その研究成果からすると、江戸時代以前には土葬(どそう)と火葬(かそう)が混在していたが、「お墓」には石塔は立てられなかったということです(130ページ)。これが江戸時代の檀家(だんか)制度とともに石塔が立てられるようになり、これが徐々に角型のものが多くなっていき、しかも1つの石塔に複数の戒名を刻むものが増えていく。岩田氏は「『お墓』として認識されているあの角柱(かくちゅう)型石塔は、もちろん中世には存在せず、近世に発生した石塔からの発展形態であった。」と述べています(141ページ)。

墓石の生産拠点は中国に


 そして、本書を読むまで意識したことはなかったのですが、日本の墓石は1990年代以降、生産拠点が中国に移り、2004年では石材の86.4%が中国製だそうです(143ページ)。
 この他にも、幼い時に亡くなった子どもの墓や埋葬に関する風習、戦死者のお墓などさまざまな論点が民俗学的なフィールドワーク、聞き取り調査、文献調査、考古学の成果をもとに考察されています。

 本書を読むと、お盆などに何気なくしているお墓参りについて一歩踏み込んだ見方ができるようになると思います。先祖供養のあり方が檀家制度とキリシタン禁圧という政策の影響を受けていたり、石材のほとんどが輸入されていたり、といった幅広い文脈の中に置かれていることが分かると思いますので本書をおススメします。
 岩田氏は、「お墓」は現在進行形で変化している(141ページ)と述べています。先祖供養のあり方がどのように変化していくのかにも注目していきたいと思います。

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