パリ最大の課題が水不足だった時代

喜安朗 著『パリ ―― 都市統治の近代』
(岩波書店、2009年)

旅行先の治安はやはり気になる

 以前、ヨーロッパを旅行した時に、ガイドブックなどで事前の情報を集めて観光名所や交通機関のこと、宿泊するホテルのことなどを調べましたが、旅行者にとってその国や街の治安のことはとても気になるポイントでした。盗難被害や暴力沙汰に巻き込まれては楽しい旅行になるはずもありません。フランスの首都パリは、アメリカのニューヨークほど治安が悪いとは聞きませんでしたが、日本に比べれば治安の問題がある街として警戒して旅行した覚えがあります。今回は、そんなパリの治安や統治の問題を検討した本書を読んでみました。
 本書の著者、喜安朗(きやすあきら)さんはフランス近代史を専門とする研究者です。本書は、18~19世紀にかけてのパリで、どのように統治の仕組みが作られていったのかを論じています。

人口が倍増したパリ

 人権宣言で有名なフランス革命は1789年に起きましたが、この革命の後の約半世紀でパリの人口は50万人から100万人に倍増しています。本書を読んで分かったことの1つは、この人口の急激な増加というのが統治の重大な課題になったということです(7ページ)。多くの人口がひしめきあって生活するためには、いろいろな工夫が必要になることが想像されます。本書であげられている例では、水不足があったようです(137ページ)。パリで水不足の問題があったとは知りませんでした。
 これに対する対応として、パリを流れるセーヌ川に運河を整備したり、パリから96キロも離れたウルク川からも運河を作ったりしてパリに水が供給できるようになりました。また、これと合わせて下水道も整備されました(141ページ)。

上下水道も警視庁が管轄

 もう1つ本書を読んで分かったことは、パリの治安を守る組織としてパリ警視庁が多方面にわたって監視の網の目を張りめぐらせていたということです(108ページ)。パリ警視庁はフランス革命以前からあったポリス組織を集大成したもので大まかには3つの部門から成り立っていたそうです。第1局は、主に国家の機密事項、不穏な集会などの抑圧、脱走兵や脱獄囚の捜査、火薬販売の取り締まりなどの公安部門。第2局は主に犯罪捜査にあたる部門。第3局は上下水道、道路・交通、公衆衛生の部門でした。水不足の問題への対処としての上下水道のことがパリ警視庁の管轄となっていたのが、少し意外でしたが、この第3局は都市基盤の維持に関わること全般を取り扱う部門だったようです。

衛生による統治

 喜安さんは、この時代のパリでは公衆衛生学が統治の技術として活用されていたことを論じています(136ページ)。パリ衛生審議会というものが医者や化学者や公衆衛生学者をメンバーとして組織され、市民から不満が出される食品の検査、工場からの廃棄物の取り締まり、広場などの公共施設に関する規則について話し合っていたこと(147ページ)も重要だと思いました。
 そして、1821年のパリ衛生審議会でモレオンという公衆衛生学者が「清潔さを愛する民衆は、やがて秩序を愛し規律を愛する民衆になってゆくだろう」と発言したことなどが本書では紹介されています(156ページ)。そして、この時代のパリの貧民や労働階級には入浴の習慣がなかったことなど、不潔な生活習慣を変えることがパリという都市の統治上の課題にもなったというのは、とても興味深かったです。

 本書を読んで、パリ警視庁とパリ衛生審議会という機関が中心となって人口が急増したパリの都市統治の仕組みが作られていった様子が分かりました。また、犯罪の取り締まりを中心として治安だけでなく、上下水道や食品、風呂に入る習慣のことまで幅広く公衆衛生に関する事柄も統治の課題となっていたことが分かりました。おそらく、こういう都市統治の仕組みは人口が多かった江戸・東京の統治にも共通する点があるのではないかと思いました。今後、江戸・東京という街の仕組みについても調べてみたいと思いました。

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