世阿弥の世界へのガイドブック

増田正造 著『世阿弥の世界』
(集英社、2015年)

 室町時代の能の大家である世阿弥について、これまで私は高田明さんの『高田明と読む世阿弥』と齋藤孝さんの『座右の世阿弥』を読んできました。世阿弥が能について書いた書物には、観客を楽しませる演者の工夫が詰まっていて、とても面白いと感じていますので、今回は本書を読んで、さらに世阿弥と能の世界について勉強したいと思いました。
本書の著者、増田正造さんは能研究家で、武蔵野大学の能楽資料センターの主任を長く務められた方です。
 本書を読んで私が特に勉強になったと感じたのは以下の3点です。

1. 歌舞伎と能の違い

 本書では歌舞伎と能の違いが指摘されていたのが面白く感じました。まず、スポンサーの違いとしては、歌舞伎には松竹という大きな商業組織がついているのに対して、能にはそのようなスポンサーがついていません。
 そして、歌舞伎が家柄を重視するのに対して、能は実力主義だと増田さんは述べています(156ページ)。もちろん、歌舞伎の役者さんも実力をつけるべく努力されていると思いますが、たとえば人間国宝になるような能の役者さんでも名門の出ではなく、一代限りの名人が圧倒的に多いそうです。
そして、世阿弥自身が「家、家ニアラズ。継グヲモテ家トス」と述べて、芸の実力のない者は後継者としないと述べています。歌舞伎と能では、同じ日本の伝統芸能でも大きな違いがあることが分かりました。

2. 能と輪廻思想

 能には輪廻の思想が貫かれていると増田さんは指摘しています(37ページ)。「六道」とは仏教の用語で、天上、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄のこと。こういう世界観を能が描いていることがとても興味深いと思いました。
 そして、「死」を原点にして「生」を見る、というのが能の基本的な構図になっているそうです。私たちは、ふつうは「生」を原点にして「死」を見ている。それを逆転させているところが仏教と通じ、そして兼好法師の『徒然草』とも通じている考え方なのだそうです(43ページ)。今後は、そういう目で能を見てみたいと思いました。私は大河ドラマを観るのが好きですが、戦国時代の信長や秀吉が能を好んで観たり、舞ったりしていますので、そういう場面の見方が変わりそうです。

3. 能は観客との共同作業

 能は一種の演劇で、舞を含めた演技と歌、楽器演奏などから成り立っています。これを増田さんは「室町ミュージカル」と表現しています(116ページ)。そう考えると、何だか楽しそうだと思いました。
 そして、世阿弥が能を作るときに重視したこととして、拠り所となる物語や漢詩、故事、言い伝えを能の中に入れ込むということがあったそうです(72ページ)。これを「本説」重視の姿勢ということを初めて知りました。増田さんは次のように述べています。

「白紙から物語を説き起こすのではなく、観客の頭脳にすでにインプットされている情報を刺激することによって、イメージの連鎖反応を起こさせる、それが世阿弥の作戦であった。」

この「イメージの連鎖反応を起こさせる」ということが、とても重要なのだと思いました。能を含めた舞台芸術は観客との共同作業なので、観客の好みを敏感に察知するのが生命線になると増田さんは述べています(152ページ)。室町という古い時代から、このような演者と観客の共同作業が意識していた世阿弥は偉大な演劇人だと思いました。
 本書には、これまでの能研究の重要な文献もたくさん紹介されており、とても詳しい研究書だと思いました。その分、読むのに苦労した面がありますが、まだまだ能と世阿弥についての重要な本があると分かりましたので、今後も1冊でも多く読んでみたいと思いました。

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