新海誠監督の『すずめの戸締まり』映画×小説の魅力

新海誠 著『すずめの戸締まり』
(KADOKAWA、2022年)

 2023年4月に映画『すずめの戸締まり』を観ました。とても面白かったです。新海誠監督の映画はそれまで1つも観たことがありませんでしたが、「すばらしいアニメをありがとう」と思えるいい作品でした。もっとじっくり味わうために小説版を読んでみました。(※ネタバレあり)

1.『千と千尋』に通じる世界観

 本作『すずめの戸締まり』を映画館で観たとき、まず感じたのは作品の世界観が宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』に似ているなということです。『千と千尋』では、神々が日頃の疲れを癒やす「お湯屋」に主人公・千尋が迷い込んでしまいますが、『すずめの戸締まり』でも主人公・鈴芽が「後ろ戸」を通って「常世(とこよ)」に迷い込んでしまいます。「お湯屋」はふつう、人間が入れない世界。「常世」も生きている人間は入れない世界。
 そして、「お湯屋」に迷い込む前段階では、バブル期に造成されて廃墟になったテーマパークに入っていきますが、『すずめの戸締まり』でも廃墟にある「後ろ戸」が開いてしまって、そこから巨大なミミズのようなものが出てきて地震を起こすという設定になっています。宮崎作品、ジブリ作品に対するリスペクトが感じられます。

2.「ここで暮らしていた人々のことを想え!」

 これは草太さんのセリフです。このようなセリフを再び味わえるのが小説版の醍醐味ですね。

「かけまくもかしこき日不見(ひみず)の神よ。遠(とお)つ御祖(みおや)の産土(うぶすな)よ。
久しく拝領つかまつったこの山河(やまかわ)、かしこみかしこみ、謹んでお返し申す」

草太さんの家族は代々「閉じ師」です。「閉じ師」は「後ろ戸」が開きそうなところを要石で閉じる人です。「後ろ戸」が開くと地震が起きるので、「閉じ師」は人知れず地震を防いで全国を渡り歩いています。
 主人公・鈴芽は、物語の冒頭で草太さんに「ねえ、君。このあたりに廃墟はない?」と声をかけられたことがきっかけで、「閉じ師」草太さんの仕事に同行し、手伝うことになります。「後ろ戸」を閉じる時に草太さんが言った「ここで暮らしていた人々のことを想え!」というセリフが、本作の中で、私が最も好きになった言葉です。
 日本列島は地震が多い土地柄ですが、そこで暮らしている人々の日常、思い出、希望などはかけがえのないものだと感じます。新海監督が本作に込めた思いも、このセリフに詰まっているように思いました。

3. 鈴芽のアイデンティティ確認作業

 主人公・鈴芽は、ダイジンという猫に導かれるように、宮崎から日本を北上して実家があった東日本大震災の被災地に向かいます。鈴芽は震災で母親を亡くし、叔母のいた宮崎に移住したという設定となっています。鈴芽が実家に向かう様子を、叔母の環(たまき)さんは「自身の成長や人間関係を形成していく過程で、自分のルーツを確認する」ような「アイデンティティの確認作業」だと理解しようとします。
 私も実家に帰省するときには、こういう自分のルーツのことを考えますが、鈴芽はそれをもっと劇的にやってみせてくれているように感じました。しかも、鈴芽は実家にいたときに被災した母を探して迷い込んだ「常世」の中にまで入っていきます。本作のこのストーリー展開が本当にすばらしいと感じました。
 間違いなく本作『すずめの戸締まり』は私のお気に入りの映画ベスト5に入る傑作だと感じています。新海監督の映画をもっと観てみたいと思いました。

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