「不老不死」「スペイン風邪」「正露丸」:毒と薬と人間
船山信次 著『毒と薬の世界史』
(中央公論新社、2008年)
本書の著者・船山信次さんは薬剤師でもあり、薬の歴史研究に力を入れてこられた方です。本書『毒と薬の世界史』は「毒や薬は生まれながらにして毒や薬なのではなく、あくまでも、人間によって毒にも薬にもなる」という視点で貫かれた、とても興味深い本です。
近代に入って細菌学や有機化学が目覚ましく発展したおかげで、例えば天然痘のような病気は、免疫療法によって人類は撲滅することができました。しかし、そうした予防・治療が確立されていない時代には、「独眼竜」と呼ばれた伊達政宗のように天然痘で片方の目が見えなくなったというようなことが起きていたことを本書から知りました。
もっと古い時代には藤原鎌足の孫で、政権の中枢にあった四兄弟が相次いて天然痘で命を落としたのだそうです。本書には歴史上の「豆知識」のような事柄や薬理学上の重大な発見などが豊富に紹介されていて勉強になります。私のような薬のことに全く詳しくない者でも「え、そんなことが!」という驚きとともに楽しく読める本です。そのなかから特に印象深かったことを4つ紹介します。
・始皇帝が求めた不老不死の薬
権力を手にした者は不老不死を願うものなのでしょうか? 紀元前中国の秦の始皇帝は、不老不死の薬を求めていたのだそうです。司馬遷の『史記』という歴史書に出てくるのですが、徐福という人物は、伴の者を数千人と数々の道具類を始皇帝から与えられて、東の海上の島へ不老不死の薬を探す旅に出て、そのまま帰らなかったそうです。その島は日本ではないかという説があり、日本にも徐福伝説が残っているそうです。始皇帝を騙した徐福、恐るべし、です。
Wikipediaで徐福を検索すると、この話が出ています。興味のある方はチェックしてみてください。
・『竹取物語』にも薬にまつわる話が出ていることを本書から知りました。かぐや姫に求婚した5人衆の1人に姫は「蓬莱の玉の枝」をとってくるように言います。この「蓬莱の玉の枝」が不老不死の薬なのだそうです。言われた男は偽物を作って差し出しますが、嘘がバレたうえに、かぐや姫は月に帰ってしまいます。これを高い山の上で焼いたのが不死の山(富士山)だという話が『竹取物語』に出ているそうです。
・「スペイン風邪」と呼ばれるインフルエンザがあったことが知られています。世界で6億人が感染、4000万~5000万人の死亡者が出たのだそうです。新型コロナCovid19の死者は約686万人だそうですので、その5倍程度の死者が出たのかと思うと、たいへんな猛威だと感じます。
「スペイン風邪」は日本では大正期に猛威を振るって、細菌学者・野口英世の母親もこれによって命を落としたのだそうです。
ただ、「スペイン風邪」という名称はスペインにとって全くの濡れ衣だということが本書を読むと分かります。このインフルエンザが最初に発生したのはアメリカで第一次世界大戦の時、米軍がヨーロッパに渡ったことからヨーロッパで流行し、スペイン王室にも感染者が出ます。大戦に参戦した国では情報統制が敷かれたので、このインフルエンザの情報が発信されにくかったのですが、スペインは大戦に参戦していなかったため、スペイン発の情報が世界に発信されたことから「スペイン風邪」と呼ばれるようになったということを本書から知りました。
・食あたりや下痢に効く薬として「正露丸」があります。私もよく服用しています。これが日露戦争の開戦2年前に発売された当時は「征露丸」という表記だったことが本書に書かれています。「ロシアを征服する」という意味で使われた俗称だったようです。このことは、以前どこかで聞いたことがありました。
使い方によって毒にも薬にもなるという考えは、日常的な薬の服用のしかたとして、是非とも気をつける必要があることだと思います。薬の濫用は人に害をもたらします。そして、薬の研究・開発も、細菌テロや化学兵器、公害、薬害という新しい問題を生んでしまいます。
現代はドラッグストアやインターネットを通じて手軽に薬が入手できる状況にありますので、そのありがたみと危険性について、とても考えさせられた1冊でした。