「私たちは何のために歳を重ねるのか?」を問う小説
角田光代 著『対岸の彼女』
(文藝春秋、2007年)
角田光代さんの小説は今まで読んだことがありませんでした。直木賞を受賞している有名な作家さんで、『八日目の蝉(せみ)』などの映画化された作品もありますので角田さんの小説いつか読んでみたいと思っていました。たくさんある角田さんの作品の中で今回は直木賞受賞作の『対岸の彼女』を読んでみました。(※ネタバレあり)
2人の主人公、行き来する時間
本書の主人公は2人います。ひとりは専業主婦だが何か仕事を見つけて働きたいと考えている30代半ばの小夜子(さよこ)で、もうひとりは小さな旅行会社の女社長の葵(あおい)です。葵の会社に小夜子が採用面接を受け、小夜子の履歴書から2人は同い年で、しかも同じ大学に通っていたことが判明し、意気投合、採用が決まるところから物語が始まります。
登場人物をメモしないと混乱しそう!
ただ、物語は、この採用面接の20年ほど前、葵の中学生時代の話と、その20年後の話とが交互に入れ替わりながら展開していきます。この交互に入れ替わる話を読みながら、私は登場人物の名前やキャラクターが混乱してきて話が理解できなくなりそうになりました。そこで私はノートを用意し、葵の中学時代の登場人物と人間関係と約20年後の登場人物と人間関係をメモしながら読み進めていきました。皆様にも是非、この読み方をおススメします。
胸が詰まるような感覚
本書を読んだ全体的な感想は、とても苦しかった、胸が詰(つ)まる思いが何度もした、ということです。しかし、読むのを途中でやめたいとは思いませんでした。次が読みたいのですが、読み進むと胸が詰まってきて苦しくなってきてしまったのです。その理由を自分なりに考えてみると、おそらく葵の中学時代の話のところが重いというか、人間の闇のようなものが描かれている気がして、それで簡単に読み進んでいくことができなかったのだろうと思いました。葵は中学生の時、神奈川県に住んでいましたが、いじめを受けたことが原因で、母の実家のある群馬県の女子高校に入学しました。葵は将来のことを考え、自分の周りの環境を変える必要があると思って別の場所に行くことを望みましたが、母親は自分の実家のある群馬を嫌って神奈川に出たという経緯があり、母親と葵の関係は悪くなっていきました。女子高校で同じクラスになったナナコと葵は友達になりますが、この2人の関係には考えさせられました。クラスに出来上がっていく小グループがカーストのように階層的なって、一番下のカーストに入っていく葵。どのグループに属さず、かといって寂しいという様子でもないナナコ。葵は中学の時、いじめを受けた経験からカンを働かせて、クラス内や校内でナナコと親しくしないようにします。それはやがてナナコがいじめを受けるかもしれないと葵は察知(さっち)し、いじめの被害が自分に及んでくるのを避けるために保険をかけていたのです。そして、ナナコはそんな葵の思いを察知したのか、何も言わず、学校の外でだけ葵と親しくしていきます。河原でいろいろなことを語り合う2人。葵にいつも優しい言葉をかけるナナコ。このあたりの葵とナナコの関係の描写が私には読んでいてとてもつらくて、この小説を読んで胸が詰まってしまった最大の理由だと思いました。
「保険をかけた」葵の予感は的中
高校2年生になって、2人は別々のクラスになりました。そして、葵の予感は的中し、ナナコはクラスでいじめを受けるようになります。ナナコの両親や妹、そして住んでいるアパートについての悪い風評も流されているのを葵は耳にしました。この時、葵は校内でナナコと親しくしていなくて良かったと感じてしまうのです。葵はずるいという気もしますが、葵は葵なりに自分の身を守りながら、ナナコのことを大事に思って、河原で話したり、夜、電話で話したりします。そして、ナナコのアパートに初めて行くことになったのですが、そのアパートを見た時、葵は衝撃を受けます。人が住んでいるとは思えない、生活しているとは思えない、「空洞」のような部屋だったのです。ナナコの家庭は崩壊していました。ネグレクトだと思います。派手な化粧をして派手な服に着替えて妹の仲間たちがぞろぞろとアパートに出入りしていました。これを見た葵は、ナナコといっしょに東京の大学に行って、ナナコをそこから連れ出してあけようと考えます。
伊豆のペンションでのアルバイト
そして、その前に高校2年の夏休みに伊豆のペンションで2人は泊まり込みのアルバイトをし、朝から晩まで働いて疲れて眠るという生活をしました。アルバイトの最終日、ペンションのオーナーの奥さんから心のこもった手紙をもらったのは本当にいい経験だっただろうなと思いましたが、帰りの電車を待つホームでナナコは「帰りたくない」と泣き出してしまい、2人はそのまま群馬に戻らず、家出をしてしまいます。ナナコが抱えていたつらさ、ナナコを大事に思う葵の純真さには心を打たれました。
その後、だいたい1ヶ月の家出を経て、お金がなくなった2人の逃避行は行き詰まってしまいます。その後、ナナコは引っ越しをすることになり、2人は引き離されることになります。その後、1度だけ2人は会うことができて話をすることができましたが、19歳の時に、お互いにプラチナの指輪をプレゼントするという約束は果たされませんでした。ナナコが引っ越した場所の連絡先を教えてくれなかったからです。なぜ、教えてくれなかったのでしょうか。ナナコなりの葵への気遣いなのかと考えてしまいました。
葵は小さな旅行会社を立ち上げた
さて、30代半ばになった葵の小さな旅行会社に採用された小夜子と葵の距離は徐々に縮まっていきましたが、小さな娘の子育て中で家庭のある小夜子と独身の葵は立場やものの見方が違っています。奔放に熱海の温泉旅行に小夜子を誘い、そのまま西のほうに旅行に行こうかと誘う葵と小夜子の旅はまるで、約20年前に葵とナナコが家出した逃避行になりそうでした。このあたりの小説の展開はスリリングという感覚を越えて、少し怖さを感じるものがありました。
熱海までは葵に同行した小夜子でしたが、さすがに宿泊するのはためらい、東京に帰ってしまいます。そこから小夜子と葵の関係はそこから崩れていき、やがて葵の高校時代のことを小夜子は知ることになります。葵とナナコの家出は当時、マスコミで大きく報道され、同い年だった小夜子も興味をもっていたのです。報道されていた一方の女子高校生が今、目の前にいる葵だったことに小夜子は驚きます。小夜子は彼女なりに友人関係がうまくいかない時期があり、そして30代になった今でも人間関係に悩んでいたのです。
でも、この小説の最後は、小夜子が人間関係のわずらわしさに目をつぶってでも、やるべきこと、やるべき仕事に力を入れることを決意し葵とも関係を修復するところで結末を迎えます。
「何のために歳を重ねるのか?」
物語の後半から、私たちは何のために歳を重ねるのだろう、という疑問が語られます。これはとても考えさせられました。それは高校時代の葵の疑問でもあり、30代になった小夜子の疑問でもあります。この小説では、私たちが年を重ねるのは人と出会うため、という答えが与えられているような気がします。高校時代は対岸にいた葵と小夜子が出会う物語です。では、ナナコはどこに行ったのか。これは分からない。葵はナナコを探し続け、今も探し続けています。葵は大学時代に東南アジアを旅し、ナナコに似た日本人女性を知っているという男に出会いますが、その真偽が分かりませんでした。葵は今もナナコを待っていて、それで小さな旅行会社をつくったのだろうと思いました。ナナコとの再会はかなわないかもしれませんが、ナナコがくれた言葉や優しさに感謝し、今やれること、やるべきことをしている葵の姿に希望があるように感じました。
ドラマにもなった作品
本書『対岸の彼女』は1回ものですがドラマ化もされているようなので、いつか観てみたいと思いました。また、角田さんの他の小説も読んでみたいと思いました。本書は、そう思わせてくれる良い小説でした。是非おススメします。下記リンクをクリックして本書の概要をチェックしてみてください。
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