『深夜特急』沢木耕太郎さんがシンガポールで、旅に出たきっかけを振り返る

沢木耕太郎 著『深夜特急2 マレー半島・シンガポール』
(新潮社、1994年)

 本書は沢木耕太郎が1980年代にユーラシア大陸を旅したノンフィクションの第2分冊です。第1分冊は香港・マカオでした。今回はタイ・マレーシア・シンガポールを縦断します。かつて文庫で読んだ本をオーディブルで聴き直しています。斎藤工の低く抑えたトーンの語りが心地よいです。私もこのあたりを旅したことがありますので、懐かしいです。
 本書で描かれたエピソードでは以下の4つが印象に残りました。旅を楽しむ沢木さんの様子がとても伝わってきました。

タイの若者との交流

 最初は、タイの若者たちとの長距離列車内での交流です。タイの首都バンコクから南へ向かう途中の列車が、タイの長期休暇の前日の夜ということもあって、とても混み合っていました。沢木さんは子ども連れの女性に英語で話しかけて、自分の席を30分交代で座っていかないかと持ちかけます。女性はあまり英語が話せないのですが、深い感謝の意を表して沢木さんの席に座ります。
 やがて30分が経過しますが、女性はいっこうに席を代わってくれません。「30分交代で」の部分がうまく伝わっておらず、女性は目的地までずっと席を譲ってくれたものと勘違いをしていたようです。
 沢木さんは諦めますが、目的地までは何時間もかかる長旅です。その様子を見ていたタイの若者グループが沢木さんに声をかけて、片言の英語での会話が始まり、気がつけば、日本やタイの歌が飛び交う、楽しい列車の旅となりました。沢木さんは、現地の人との交流がとても得意な、旅上手な人だなと感じました。私はあまりうまく交流できないので、少しうらやましいです。

ペナン

 マレーシアのペナンという島でも、沢木さんは現地の人に気に入られ、飲食店を兼ねた宿屋の主人に「働かないか」と誘われています。もっとも、そこの宿屋の主人は、日本人の旅行客を安心させ、油断させるために日本人である沢木さんを従業員として雇いたいという下心があったのですが。
結局、沢木さんはそこで働くのを断ります。

シンガポールで「旅の先輩」を感じる

 シンガポールでは、街を歩いていたときに出会ったニュージーランド出身の若者2人組と酒を酌み交わします。沢木さんのほうが数ヶ月早く旅に出て、年齢も沢木さんのほうが4、5歳上だったので「旅の先輩風」を吹かした感じが面白かったです。
 ニュージーランドの若者は、大学を中退して4、5年かけて世界一周の旅に出たばかりということでした。ヒッピー文化の一端を垣間見た感じがしました。

なぜ沢木さんは長旅に出たのか?

 シンガポールで、沢木さんは、自分がなぜユーラシア大陸を横断する長旅に出ることになったのかを自分なりに回想しています。大学を卒業して東京・丸の内の会社に内定したものの、入社1日目に退社したそうです。沢木さんは雨が好きだったそうです。正確には「雨に濡れる感覚」が好きで、めったなことでは傘をささなかったそうですが、入社の日はスーツを着ていて、スーツを雨に濡らさないように傘をさしていた。そんな自分が嫌になって1日で会社をやめたというエピソードは驚きました。
 それから、ノンフィクションのライターになって数年して、仕事が軌道に乗ってきたころ、このままのペースで仕事をしていくのが嫌になって、「外国に行く」という嘘をついて仕事を断るようになった。それでも仕事の依頼が絶えず、携帯電話のない時代だったので仕事を依頼する電話が実家にかかるようになり、沢木さんが「外国に行く」と言っていることを沢木さんの母親が聞きつけて、「私は嘘をつき続けるのがつらいから、頼むから本当に外国へ行ってくれ」と母親に言われた。そこで、半年ぐらいつもりでユーラシア大陸横断の旅に出たのだという回想が語られていました。
 こういう話は、文庫本で読んだときには、読み飛ばしていたようで、全く覚えていませんでした。今回、オーディブルで聴き直して、「ああ、そういう事情があったのか」と気がつきました。

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