生徒指導を日米比較すると……

片山紀子・藤平敦・宮古紀宏 著『日米比較を通して考えるこれからの生徒指導』
(学事出版、2021年)

校則と生徒指導の深い関係

 以前、二宮(にのみや)皓(あきら)さんの『こんなに厳しい!世界の校則』という本を読んだことがあり、日本だけでなく外国にも厳しい校則があることに驚きました。今回は、校則と関係の深い生徒指導の日米比較をした本書を読んでみました。

 本書の著者である片山紀子さん、藤平敦さん、宮古紀宏さんはアメリカの教育制度を専門とする研究者です。本書は彼らが詳しく研究しているアメリカの教育を日本と比較することによってこれからの生徒指導のあり方を考えようとしている本です。ただし、本書の「はじめに」で述べられているように、アメリカの教育制度が素晴らしいということを示したいというわけではなく、また、それをそのまま日本に取り入れたほうがよいという提案をしたいという趣旨でもありません(3ページ)。

守備範囲が広い日本の教員

 本書を読んで、まず分かったことは、日本の教員は仕事の範囲が広く、勤務時間が長いということが各種の調査で明らかになっているということです(4ページ)。特に、教員の長時間労働については近年、新聞やテレビの報道でも聞いたことがありました。本書を読んで、日米比較をしてみるとアメリカの教員は「教科を教える人(teacher)」と考えられており、日本の教員は、教科を教えることのほかに、児童生徒の生活全般に関わる事柄も仕事の範囲に含まれ、これが日本の教員の長時間労働につながっていることが分かりました(34ページ)。アメリカの場合、教員の仕事が教科を教えることに限定され、遅刻や授業中の不適切な行為などは基本的に教頭に連絡が行き、教頭がコーディネーターとなって常勤のスクールサイコロジストという心理職などと協力して対処しているそうですまた、アメリカの場合、学校の秩序維持にはスクール・ポリスという警察官がいるようです(35ページ)。この日米の違いは大きいと思いました。

「叱らない時代」到来か?

 本書では、これからの日本の生徒指導のあり方についての展望や提言があって、とても興味深く読めました。展望についてですが、これからの生徒指導は、子どもを「叱らない時代」に移行するのではないか、ということが述べられており(138ページ)、少し驚きました。私の中学・高校時代はツッパリ文化の最盛期で、教員の対応はとても厳しいものでしたので、「叱らない」というのが想像を絶しているようにも思えたからです。本書がこのような展望をもつ背景には、アメリカの教育において、かつては体罰が用いられていましたが、今では体罰を用いない教育が目指されているということがあります。この変化が、もう一つ先に進んで、「叱る」のではなく、言葉で説明し、間違っている理由を冷静に言葉で伝え、子どもに気づきを促すような問いを投げかけるようにすることが生徒指導において重要になると述べられています(139ページ)。これは、近年のスポーツ指導の場面で多く用いられているコーチング的な手法に近いイメージかもしれませんが、それはともかく、「一方的に価値を押し付けようとするから、叱らなくてはならなくなる」のだが、そうやって叱っても教員の自己満足に過ぎないと本書では指摘されており(139ページ)、とても大事な考え方だと思いました。

最小の校則「自分がされて嫌なことは人にしない」

 それから、これからの生徒指導に関する提言として、規則を最小限にするというものがありました。具体的には、「人を心理的に、身体的に傷つけた場合」等に集約した最小限の規則だけにするという提言です(143ページ)。実際、大阪市立大空小学校では「自分がされて嫌なことは人にしない」という最低限の規則で学校が運営されていることが紹介されています。また、「法律を守ること」だけを校則にしている学校もあるそうです。
 たしかに細かな校則が増えると、それを守らせるために教員が神経をとがらせなければならなくなるような気もします。本書では「生徒指導が厳しいと言われる学校ほど、教員の疲弊は著しいでしょう」と指摘されています(144ページ)。実際問題として最小限の校則でどこまで学校の運営が可能なのか、今後に注目していきたいと思いました。
 本書を読みながら、西郷孝彦『校則なくした中学校 たったひとつの校長ルール』という本があることを知りました。校則を最小限にした学校の実例だと思いますので、今度読んでみたいと思いました。

https://hon-navi.com/?p=564

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