綱吉の「生類憐れみ」から明治の堕胎取り締りへ
沢山美果子 著『性から読む江戸時代』
(岩波書店、2020年)
『性から読む江戸時代』は、内容が盛りだくさんなので、1章ずつ読み読み解いていきます。今回は本書の第5章だけをレビューしたいと思います。
第5章のタイトルは「江戸時代の性」となっており、第1章から第4章までをまとめる総合的考察の章になっています。
本章を読んでの気付きは主に以下の3点です。
江戸時代にも人口増加政策があった
江戸時代の約250年のうち後半期には人口増加政策があったということは知りませんでした。沢山さんは、東北などの人口減少地域で行われた妊娠・出産の管理が、そのまま人口増加政策になったと指摘します(140ページ)。
その起源はなんと徳川綱吉の生類憐れみ政策。この政策は犬を大事にすることを強いたことがクローズアップされがちですが、実際は犬だけでなく牛や馬、そして、捨て子の保護や間引き(生後間もない赤子を殺すこと)の禁止も含むものでした(塚本学『生類をめぐる政治』講談社、2013年)。
綱吉の生類憐れみ政策は、各藩に受け継がれましたが、藩による妊娠・出産の管理の特徴は①出産の場に隣人を立ち会わせる、②懐妊から出産までの届を藩に提出させること、③赤子養育料を支給したこと、④堕胎・間引きは罪だと教諭したこと、の4つです(141ページ)。
また、婚姻は仲人を立てるのが正式なものとされ、それ以外は「不義密通」として厳しく取り締まられるようになっていきました(147ページ)。
養生論が性意識に影響を与えた
貝原益軒『養生訓』をはじめとする養生論には、食欲とともに色欲(性欲)のコントロールが説かれていました。養生論は、色欲を家の維持・存続のための生殖に結びつけて論じましたが、これは民衆の長寿願望を背景として広まっていきました(153ページ)。
堕胎禁止と明治政府
明治元年には、産婆が堕胎をしたり堕胎薬を販売したりすることを禁止する布告が出されました(163ページ)。沢山さんは次のように述べています。
「明治政府の産婆統制、堕胎禁止は、人口増加政策のための性・生殖の統制という面で江戸時代の妊娠・出産管理政策と連続していた。(163ページ)」
性・生殖の統制には長い歴史があるのだということに気付きました。
もう1つ、沢山さんの指摘で大事だと思ったのは、江戸時代と明治時代の違いです。それは江戸時代には庄屋さんなど村役人層や共同体を媒介として堕胎・間引きの相互監視をさせる仕組みだったのが、明治期には警察をはじめとする近代的な権力によって性・生殖の統制が進められたということです(164ページ)。
貝原益軒『養生訓』にみられる色欲のコントロールの話などは、現代人の感覚とかけ離れているように思いましたが、それだけにいっそう興味深いと思いました。