なぜブタは法廷に立たされたのか?
池上俊一 著『動物裁判――西欧中世・正義のコスモス』
(講談社、1990年)
「法廷に立つブタ、破門されるミミズ」と書かれた本書の帯を見たときは単純に「?」でした。しかし、中身をぱらぱらと見ていくと、些末(さまつ)な面白エピソードの寄せ集めというわけではなく、ヨーロッパ中世の本質に迫るまじめな西洋史の本のようだと分かってきましたので読んでみました。
本当にあった動物裁判
本書の著者、池上俊一さんは西洋史を専門とする歴史家で、本書が出版された1990年では東京大学の教授、現在は名誉教授になられています。
本書は2部構成になっており、第1部でヨーロッパの歴史の中での動物裁判の具体的な事例が読者に示され、第2部では動物裁判の文化的な背景に迫っていきます。
事例1. 野生イノシシに近いブタが
事例のひとつとして紹介されているのは15世紀フランスで動物裁判にかけられた2頭のブタです。ある村で家畜(かちく)の仔(こ)ブタに餌(えさ)をやっていたジャンという子どもが巨大な母ブタに突きとばされただけでなく、倒れたジャンを食い殺してしまったという事件が起こりました。(この時期のブタはまだ野生のイノシシに近い動物だったそうです。)
この事件は村人たちにショックを与え、どう決着をつけたらよいのか話し合われたところ、この地方の慣習法にしたがって母ブタと仔ブタが裁判にかけられ、母ブタは有罪となり死刑、仔ブタの共犯性(きょうはんせい)が詳しく議論された後、無罪となっています(11ページ)。
事例2. 大発生したミミズ、ハエ、バッタが
また、ミミズ、ハエ、バッタなどが大発生した時、畑や果樹園などを荒らすのを防ぐために悪魔(あくま)祓(ばら)いをすることを根拠づける目的で動物裁判が行われた例が多くあると述べられています(36ページ)。ここでヨーロッパ中世の裁判のしくみとして、世俗(せぞく)裁判所とならぶ教会(きょうかい)裁判所というものが解説されています(34ページ)。教会裁判所には①キリスト教の信徒たちの罪の告白と償(つぐな)いにかかわる「内法廷(ないほうてい)」と、②キリスト教社会の秩序維持のために犯罪者を回心させる「外法廷(がいほうてい)」があり、動物裁判は②の「外法廷」に住民が訴状(そじょう)を提出することで審理が始まったということです。裁判官はミミズやバッタを被告席に呼び出すことに同意せず、昆虫や小動物の大発生を悪の世界の手先とみなし、悪魔(あくま)祓(ばら)いの儀式、または破門(はもん)宣告(せんこく)が行われたということです(37ページ)。
動物裁判をめぐる諸説
このような動物裁判は12~18世紀頃のヨーロッパ各地で行われていたようです。これに対する歴史家たちの評価には次のようなものがあります。
①迷信(めいしん)・愚行(ぐこう)説:中世は暗黒時代だったので奇妙な事が行われていたと説明するもの。
②擬人化(ぎじんか)説:ヨーロッパの伝説・文学・美術などには、動物を擬人化し、動物に人間的性質をもたせるような描写が多くみられる。それと同様のことが法や裁判の領域に浸透していたために動物裁判が行われたと説明するもの。
③パロディー説:当時の人びとの生活上の苦労がユーモアを交えつつ動物の世界に適用されたとするもの。
④「威嚇(いかく)刑」説:動物を裁き処刑することによって人々を威嚇し、同種の犯罪を人間が行うのを防ごうとしていたとする説。
新説:「自然の飼いならし」
これら既存(きそん)の説に対し、本書の著者、池上氏が展開しているのはヨーロッパ中世に起こった人間と自然との関係の変化を背景とする新たな説明モデルです。それは、いわば「自然の飼(か)いならし」説です。ヨーロッパでは特に12世紀以降、水車、風車、ウシに引かせる犂(すき)などの農業技術が発展したり、農地の開墾(かいこん)運動が展開されたりして、自然を人間に役立て、自然を物質的に「領有(りょうゆう)」する動きが本格化した(138ページ)。洪水、干ばつ、厳寒(げんかん)厳暑(げんしょ)、暴風雨などに象徴されるような自然の威力に果敢に挑戦するメンタリティーを人間が持ち始めたのがヨーロッパ中世だと池上氏は指摘しています。動物裁判は、動物に人間の法を適用しますが、ここにはヨーロッパ中世の人間中心的な感受性が表れているというのが池上氏の見立てです(178ページ)。私はヨーロッパ中世のことを何となく「暗黒時代」だとイメージしていましたので、本書で述べられた池上氏の説は新鮮で驚くばかりでした。
日本と西洋の自然観・動物観の違いとは?
本書の最後の方では、西洋的な自然観・動物観と日本人の動物観との対比もあって(215ページ)とても勉強になりました。春日神社はシカを、日吉神社はサルを神使いあるいは神そのものとして信仰する風習があることなど、西洋と東洋・日本との文化的な違いを学ぶことも興味深いと思います。関連する本を探して読んでいきたいと思います。