「1000円札」野口英世は勤勉なだけではなかった

中山茂 著『野口英世』
(岩波書店、1995年)

 コロナ禍ということもあって感染症に関する本を何冊か読んでみましたが、日本の医学者、野口英世のことが何回か出ていました。そういえば、1000円札に印刷されている人物ですが、どんな人物だったのかはあまり知らないなと思い、彼の伝記を探して読んでみることにしました。
 本書の著者、中山茂さんは科学史を専門とする研究者です。中山さんは、野口英世の伝記作者がこれまで用いてこなかった野口の海外滞在時の様子が分かる史料を用いて本書を書いています。その史料とはアメリカのロックフェラー大学図書館に残されていた史料で、野口の人生の後半、アメリカに拠点を置きながらアフリカや南米に赴いて研究生活を送っていた時期のことがよく分かる史料です(292ページ)。

手のやけどのエピソード

 この史料を多く用いたことによって、本書は、これまでの野口英世の伝記とは異なる特徴をもつことになったように感じました。私は野口の伝記本を読むのは初めてですが、幼い時の記憶で、野口の生涯を描いた映画を観たことがありました。その映画では、野口が小さい時に手に大やけどを負って、同級生たちのカンパによって手術代が集まり、手が治って医者になり、細菌の研究で大きな功績をあげた偉人というイメージで野口の生涯が描かれていました。ところが、本書を読んで、そのイメージは多少なりとも変わりました。

道徳的なお手本とされた野口だが

 実は野口は戦前の「道徳」にあたる「修身」の教科書にも出てくる人物で、「立志」「忍耐」「勤勉」という徳目(とくもく)(道徳の目標)にふさわしい人物として学校で教えられていたのですが、中山さんは「しかし、勤勉、忍耐の徳目だけで塗り固めた野口の修身像は虚像である。」と述べています(292ページ)。では、野口の実像はどのような人物だったのか? この点について中山さんは「何かセンセーショナルなことを、見つけて世間の耳目を集めたいという、ふつふつたる自己顕示欲が彼の行動の端々に認められる」と述べています(87ページ)。細菌学の分野で研究をリードしていた伝染病研究所に自らを売り込み入所に成功したことや、ペスト患者と疑われる病人を発見した野口が、衛生行政の当時の中心人物であった北里柴三郎に報告し、北里の功績づくりに貢献することで自分の名前を北里柴三郎に覚えてもらうことに成功したことは、野口の自己顕示欲や野心がよく表れていることが指摘されています。

病原菌の狩人たち

 本書を読んで、当時の細菌学者たちの様子を知ることができて面白かったです。野口の生涯と重なる19世紀末から20世紀初めの時期は、病原細菌学が大きく発展し、研究者は特定の病原菌を発見することに躍起(やっき)になっていました。『微生物の狩人』という本があるそうですが、当時の細菌学者は、誰もが病原菌を追い求める狩人として競い合っていたようです(153ページ)。その結果、日本人では北里柴三郎が破傷風菌、志賀潔が赤痢菌を発見することに成功しました。野口も黄熱病などの研究で勇名を馳せ、ノーベル賞候補に名前があがっていたそうです(171ページ)。
 このようなところから考えると、野口の生涯は、戦前の修身教科書がとりあげたような「立志」「忍耐」「勤勉」という徳目から大きく外れるわけではないと思いました。大きな志をもち、苦しいことに耐え、勤勉に研究に打ち込んでいたことは間違いないのですが、中山さんが指摘するように、有名になりたい、名を上げたい、という野心が強く、自己顕示欲も強かったらしいということも分かりました。たしかに、あまりに「偉人」として持ち上げられ過ぎているというのはたしかかもしれないと思いました。


 本書を読んで、当時の細菌学をめぐる状況については伝記から学べることも多くあるように思いました。今度は北里柴三郎の伝記を読んでみたいと思いました。

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