やっぱりいい! 漱石のことば

姜尚中 著『漱石のことば』
(集英社、2016年)

 夏目漱石の小説では『心』と『それから』が好きで何度か読み返して楽しんできました。姜尚中さんが漱石のファンというのは聞いたことがありましたが、姜さんによる漱石の解説はきっと面白そうと思い本書を読んでみました。(※ネタバレあり)


 本書の著者、姜尚中(カンサンジュン)さんは政治学を専門とする研究者です。姜さんは10代の頃から漱石作品を読んでおり、悩み多かった思春期の時期に差し込んでくる一筋の光のように漱石作品を読んでいたそうです(22ページ)。本書はそんな姜さんの漱石への思いが詰まった一冊です。

漱石をメンターとする

 本書を読んで最も印象に残ったのは、姜さんが漱石を「メンター」として、漱石の作品を読んでいたということです(23ページ)。「メンター」とは「師」とか「指導者」という意味です。姜さんは「地下室の中から私を連れ出してくれるメンターを求めていた」そうですが、漱石がそのような存在になった理由について「おそらく、漱石その人が、コミュニケーションに不向きな、淋(さみ)しい人間だったからだと思います」と姜さんは述べています。「メンター」というのは故人であっても成り立つのだということが分かりました。

漱石作品の男のコミュニケーション力

 本書で展開されている姜さんの漱石読解はとても納得できる部分が多かったのですが、漱石作品に登場する男が、だいたいコミュニケーションに難を抱えているという指摘(23ページ)には特に納得できました。『坊っちゃん』の主人公だけは別ですが、『心』の「先生」、『それから』の「代助」、『門』の「宗助」などはみんな優柔不断で煮え切らないタイプと姜さんは指摘しています(136ページ)。それは多くの部分で漱石を反映していたのではないかという姜さんの読解に共感しました。

Kの孤独

 個別の作品では、『心』のKの自殺の理由についての姜さんの指摘が興味深かったです。Kは下宿先のお嬢さんに惚れ込んでいたが、友人である「先生」がお嬢さんと結婚することになって、失恋のショックで自殺したのかなと思っていました。ところが、本書で姜さんはKの自殺の理由は「究極の理由は誰も信じる相手がいなくなった孤独のため」と指摘しています(41ページ)。この指摘に私は「なるほど」と思い、これまでの考えを修正するべきだと思いました。

生きる意味を考え続けた漱石

 漱石作品に関して姜さんは「人は何のために生きているのか、なぜ生きなければならないのかを考え続けた作家だったと思います」と述べています(220ページ)。その答えは漱石自身も分からないのですが、人は人生の謎を解くために生まれてきて、解けない、解けない、と唸(うな)りながら死んでいくという人間観が漱石にはあると姜さんは考えています。それゆえに漱石の描く登場人物は、みんな悩んでいて生きづらそうなのではないか、と姜さんは指摘しています。私はこれまで、漱石作品は内面描写が本当に素晴らしいと思っていましたが、本書を読んで、その内面描写は人間の悩みと生きづらさに迫る表現だったのではないかという感想をもちました。


 夏目漱石の作品は国語の教科書に掲載されることも多く、たくさんの人に親しまれていますので、作品の内容をとても詳しく読み込んでいる方も多いのではないかと思います。本書は、姜さんなりに気に入ったフレーズを抜き出してコメントするというスタイルになっていて読みやすいのが特徴です。それでいて、漱石愛に溢れており、漱石作品全体に目配りが効いていて鋭い分析もありますので、これから漱石作品を本格的に読み込んでいこうという方には是非おススメします。

Follow me!