「聞く」技術をカウンセラーが解説
東畑開人 著『聞く技術 聞いてもらう技術』
(筑摩書房、2022年)
英語に‘hear’と‘listen’があるように、日本語にも「聞く」と「聴く」の2つがあり、両者は微妙ながら大きな違いがあるのではないかと感じていました。「聴く」のほうが「聞く」よりも注意深く耳を傾けるニュアンスが強いようにも感じます。
ただ、「聴く」のが高尚で、「聞く」ことは低次元というわけではなさそうです。今回は「聞く」ことの意味や技術について書かれた本書を読んでみました。
本書の著者、東畑開人(とうはた・かいと)さんは臨床心理学を専門とし、白金高輪カウンセリングルームを主催されています。その東畑さんもある時期までは「聞く」よりも「聴く」ほうがレベルが高いと思っていたそうですが、最近ではその自分の考えは浅はかだったと述べています(9ページ)。
たしかに、「伝聞」の「聞」のように「なんとなく言葉が耳に入ってくる状態」が「聞く」で、「傾聴」の「聴」のように時間をかけて耳を傾ける状態が「聴く」。受動的な「聞く」に対して、能動的な「聴く」というニュアンスの違いはあります(8ページ)。東畑さんは、一見簡単そうな「聞く」ができていない時代、日常的な対話が難しい時代に私たちは生きているという時代認識をもっておられるようです(10ページ)。つまり「話を聞いてくれない」「話を聞いてもらえない」という「孤立」の時代。これが人々のメンタルヘルスに悪い(96ページ)。「つながり」が失われている時代だと東畑さんは述べています。
1. 日常的な「聞く」行為が減った現代社会
本書で紹介されているアメリカの先住民の話は興味深いものでした。それは、落ち込みや悲しみを部族の仲間と分かち合っているかぎりは正常なプロセスと捉えられるけれども、気持ちを人に話せなくなり、一人で抱えるようになると病気と捉えられるそうです。(97ページ)。
この話は、「聴く」よりももっと日常的な「聞く」という行為が普段から行われなくなった状態ではメンタル疾患が深刻になるということを示すエピソードなのではないかと思いました。
2. カウンセリングは法律的には誰がやってもいい
公認心理師などの資格がなくてもカウンセリングはできます。カウンセリングという行為は資格によって業務独占されているわけではありません(158ページ)。家庭内でも居酒屋でも人生相談は行われることがあります。
そして、カウンセリングと人生相談の境界線もあいまいです(160ページ)。この点について私は、カウンセリングのような能動的な「聴く」ことと、普段の日常的な「聞く」という行為が実は地続きになっているのではないかと思いました。東畑さんは次のように述べています。
「心のケアとは話を聞かれることである。
それは日常で皆がやっていることである。
どうしても日常で「聞く」がうまくいかなくなってしまったときだけ、専門家の出番があるけれど、ほとんどの場合はそれは身近な人間関係によってみたされている。(162ページ)
3. カウンセラーの仕事は通訳
東畑さんは「カウンセラーの仕事は通訳です」と述べています(187ページ)。例えば、本人の言葉を翻訳して家族や周囲の人たちに伝える。これによって家族や周囲の人たちに本人の状態に対する理解を促す。そういう意味での「通訳」です。
この通訳の仕事には、心の問題に関する専門知が使われますが、東畑さんは、この専門知は世間知に支えられることによって有効に機能すると考えています。世間知とは、同僚や友人や家族による「聞く」行為で、これだけではうまく心の問題に対処できない部分を専門知が修復します。これが著名な医療人類学者のクライマンが提唱しているヘルス・ケア・システム理論です(178ページ)。クライマンはヘルス・ケア・システム理論を①専門職、②民間セクター(同僚・友人・家族)だけでなく③沖縄のシャーマンやスピリチュアル・セラピストなど国家的な資格のない人々による民俗セクターという3つのセクターを説明モデルとして用いました。私はクライマンについてこれまで何も知らなかったので、本書を読んでとても勉強になりました。
本書では、カウンセラーとしての東畑さんの経験を踏まえて、人の話を聞く際の非常に具体的な技術も紹介されています。その中には「……と思うんだけど、どう思う?」と、最後を疑問形にすると、相手を傷つけることが少なくなるという技術もありました(40ページ)。是非、参考にしたいと思いました。