明治維新は受験生の苦学ストーリーも生み出した!

竹内洋 著『立志・苦学・出世――受験生の社会史』
(講談社、2015年)

 2022年1月15日、大学入学共通テストの初日でしたが、試験会場だった東京大学の農学部前で受験生らを刃物で切りつける事件が発生しました。犯人は高校2年生の男子で、東大を目指して勉強していたが成績が上がらず「事件を起こして死のうと思った」などと供述したそうです。受験勉強のプレッシャーによって、それほどまでに追い詰められる状況というのが令和の時代にもあるのだと実感し、以前に読んだことのあった本書『立志・苦学・出世――受験生の社会史』を思い出し、読み返してみました。

受験雑誌で情報を得た時代

 本書の著者、竹内洋さんは教育社会学を専門とする研究者です。本書では明治以降の受験雑誌の内容を分析して、受験生の生活や受験勉強にまつわる苦労を明らかにしています。テレビもインターネットもなかった明治期の受験生は紙媒体の受験雑誌から情報を得ていたのです。

 Wikipediaを検索してみて、現在も刊行が続いていることを知ったのですが、旺文社の受験雑誌『螢雪(けいせつ)時代』が1932年(昭和7年)から刊行されています。「(ほたる)の光、窓の雪、(ふみ)読む月日重ねつつ」という「ホタルの光」の歌詞から「螢」と「雪」をとって「螢雪(けいせつ)」としたのでしょう。

「遊学」への憧れ

 このような受験雑誌の源流は明治20年代に現れました。その時のキーワードは「遊学(ゆうがく)」で、ズバリ『東京遊学案内』という名前の雑誌があったのだそうです(59ページ)。この雑誌の内容は、①東京にある学校を紹介、②入学試験問題を掲載、③東京でどう過ごすかの都会生活情報、の3つが大きな柱で、受験勉強の仕方(ハウツー)の側面はほとんどありませんでした(61ページ)。また、東京にある学校のうち、大学ではなく中学が主に紹介されていたようで、『中学世界』という受験雑誌が明治30年代に刊行され始めます。当時、中学は義務教育ではなく、上級学校への進学を目指していくのであれば、まずは中学の情報が必要とされたのです。そして、竹内氏は「受験生の誕生」は明治30年代後半の現象だと指摘しています(88ページ)。西暦では1900年代ですので、だいたい120年ぐらい前に「受験生」という存在が生まれたということです。

「学歴」の価値

 本書を読んで気付いたことは、何のために「受験勉強」をするのかを考えた時、「受験勉強」にはある種の価値が込められているということです。明治期に人々が「受験勉強」に(はげ)むようになっていった時には、「受験勉強」の価値は、「立身(りっしん)」つまり「身を立てる」ということで、それは「学歴」をつけて社会的によい地位を獲得することにつながっていました。それに加えて、東京をはじめとした都市部への地理的移動とも結びついて、村の生活を脱して都市生活に入ることも意味していました(125ページ)。

 もちろん、それは簡単なことではなかったので、受験生は受験雑誌から情報を得て、受験雑誌のほうも受験勉強のハウツーの側面を充実させながら刊行部数を伸ばしていきました。

「野心」を加熱するか、冷却するか?

 本書のキーワードに「ウォーム・アップ(加熱)」と「クール・アウト(冷却)」があります。受験生は「学歴」や都会生活に対する一種の「野心」をもちますが、それには受験勉強のさまざまな苦労を経て合格を勝ち取る必要があります。受験雑誌は受験生の「野心」に火をつけ、油を注ぐ役割を果たしますが、一方で、時間的な制約や経済的な理由などで受験を(あきら)めざるを得ない者も多くいました。受験雑誌に掲載されるさまざまな情報に触れ、また、思うように成績が上がらず、自分には無理だと感じた者が受験競争から脱落してくことを指して「クール・アウト(冷却)」という用語が使われています(148ページ)。

「ハビトゥス」とは

 もう1つ、重要用語として「ハビトゥス」が用いられています。これはいわば「精神の(かた)」です。竹内氏は、「ハビトゥス」を「身体化された文化」とも言い換えて「それぞれの場には特有の文化があり、場に適合したハビトゥスがある」と指摘しています(155ページ)。受験勉強に励んで合格を勝ち取る「苦労人的ハビトゥス」は、士族(しぞく)出身者たちから冷ややかな視線を投げられることも多かったと竹内氏は指摘しています(158ページ)。戦後は中学が義務制となっていますし、高校・大学進学率も上がって大衆的なものになっていますので、このあたりは現在とは異なっていますが、学校制度の定着と受験生活が一体となっている点を理解するのに、よい一冊だと思いました。

 本書を読んで、受験勉強の「クール・アウト(冷却)」という概念が特に印象に残りました。しかし、時間的な制約や経済的な理由で進学を諦(あきら)めさせられるというのは理不尽なことで不公平だと思います。経済的な格差問題もありますし、近年では「ヤング・ケアラー」の問題もあります。これらの問題について引き続き注目していきたいと思います。

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