明治期のコレラ禍の死者は日清・日露戦争より多かった!
立川昭二 著『病気の社会史――文明に探る病因』
(岩波書店、2007年)
コロナ以前の感染症は文化人も悩ませた
コロナ禍に入った2020年、感染症に関する本を何冊か読みました。本書もその中の1冊です。本書ではハンセン病、ペスト、梅毒、結核、コレラなどの感染症の世界各地での流行について歴史的な視点から解説されています。結核で若くして命を落とした石川(いしかわ)啄木(たくぼく)や樋口(ひぐち)一葉(いちよう)などの文化人のことが本書で触れられていたのが印象的で、新型コロナウィルス以前にも感染症は猛威をふるってきたのだな、と改めて思いました。
文明の交流=病気の交流?!
本書の著者、立川昭二さんは医療社会史を専門とする研究者です。本書の冒頭で立川さんは、「そこに病原菌があるからというだけで病気がおこるのではない。病原菌を伝播(でんぱ)・繁殖させる条件がそこにあってはじめて『病気』となる」と述べています(4ページ)。そして、「文明の交流が病気の交流ともなる」、「病気は文明を変え、社会を動かしていく」とも立川さんは述べています。「なるほど」と思いました。外国で発見されたコロナウィルスのような病原菌が、グローバルな人の移動という「文明の交流」によって日本に持ち込まれたことを思い出しました。
「三日コロリ」
本書の前半は古代から近代のヨーロッパの感染症のことが多く論じられていますが、後半の第7章、第8章、第9章が江戸時代から明治時代にかけての日本の感染症が「文明の交流」と「病気の交流」の視点から考察されていて、とても身近に感じました。たとえば、コレラです。コレラ菌の伝染によって消化器系の不調を起こし、激しい下痢に襲われる病気です。コレラはもともとインドのガンジス河流域の風土病だったのですが、産業革命を経た19世紀以降に、国際交流の活発化にともなって世界的な流行が何度も起きました。日本にも江戸時代の後期の1822年に最初の流行が起きました(195ページ)。急激に体調を崩して命を奪うので、「見急(けんきゅう)」「鉄砲」「3日コロリ」などと呼ばれ恐れられたそうです(199ページ)。そして、明治期に入ってもコレラは何度も流行し、明治期の44年の間に総死者数は37万人を超えており、この数は日清戦争・日露戦争の死者を上回っています。これは知りませんでした。
明治の女工たちと結核
私が高校生の時、国語の教科書に『あゝ野(の)麦(むぎ)峠(とうげ)』というルポルタージュの一部が掲載されていました。明治期の工場で働く若い女工(じょこう)たちの生活を描いた作品で、それを映像化した作品も鑑賞しました。その中で、女工たちの間で結核が流行して、激しく咳(せき)をしたり、重症化して血を吐いたりして働けなくなる様子が描かれていました。本書『病気の社会史』の第9章は「病気・明治百年」と題されおり、女工の間で流行った結核のことも触れられていました(254ページ)。女工たちは主に農村から工場に来て、長時間の過酷な労働をさせられ、栄養の行き届かない食事で過ごすことになったために結核にかかる場合が多かったと立川さんは指摘しています(261ページ)。しかし、工場主たちは、結核にかかった女工たちに治療を受けさせもせず、農村に追い返したために結核の全国的な蔓延(まんえん)が起こったとも立川さんは述べています。これが本書の冒頭で立川さんが述べていた「病原菌を伝播(でんぱ)・繁殖させる条件」だと気付きました。医療体制を整備することは本当に重要だと思いました。
医療体制のこと
コロナ禍で、医療体制がひっ迫(ぱく)して、救急患者の受け入れ先がないということはコロナ禍に入る前までは、あまり深刻に考えられていなかったように思います。医療体制の整った社会で生活できることに感謝しつつ、また、コロナ禍の収束を切に願わずにはいられません。
また、本書を読むと、人類はさまざまな病気を克服してきたのだということも改めて気付かされ、そこから勇気をもらうこともできるように思います。おススメの一冊です。