「食物の3大栄養素」は「発明」された?!

望田幸男/田村栄子 編『身体と医療の教育社会史』
(昭和堂、2003年)

 以前、ロイ・ポーター『人体を戦場にして――医療小史――』を読んで医療と身体についての歴史に興味が出てきましたので、今回は『身体と医療の教育社会史』を読んでみることにしました。
 本書の編者である望田幸男さんはドイツ近現代史を専門とする歴史学者、もう一人の編者、田村栄子さんはドイツのナチズム(ナチスの思想)の研究者です。

公害、医療過誤、薬害、高齢化

 本書は10人の執筆者が各章を分担執筆しています。本書の「序」によると、身体や医療の問題は主に体育学、生物学、医学が対象としてきたのですが、歴史学の対象となったのは比較的最近のことだと述べられています。歴史学が身体や医療の問題を取り扱うようになったのは、工業化の進展にともなって生じた公害や環境破壊によって健康被害が注目されたり、高度な医療機器を備えた病院で医療過誤や薬害が起こったり、さらには高齢化社会が到来したことなどの要因がありました。

栄養学の誕生

 本書は3部構成で第Ⅰ部のテーマは「身体教育と身体の規律化」、第Ⅱ部は「医の制度化による統合と排除」、第Ⅲ部は「医の世界とジェンダー」です。3つの大きなテーマはどれも興味深いと思いましたが、今回は特に第Ⅰ部の第1章の「食をめぐる身体の規律化の進展――近代ドイツにおける栄養学と食教育――」(南直人さんが執筆)に注目しました。私は特に「食物の3大栄養素」の区分は歴史上のある時期になって初めて成立したということを初めて知りました。以前からうすうす思っていたことですが、人類の祖先が最初から炭水化物・脂質・タンパク質という区分や名称を知っていて、そのバランスを考えていたわけではないのです。その区分は1827年にイギリスの化学者プラウトが提唱し、1840年代に区分の名称が確定していったのだそうです(5ページ)。これが近代的栄養学の始まりで、食物を栄養素という単位に還元して、それの人体への作用を研究する方向が示され、食物や栄養の化学的分析と人体の生理学的分析が結合することで当時としては新しい食の科学としての栄養学が誕生したのです。私たちはそれを小学校の家庭科の授業などを通してそれを学んでいます。

「栄養」という概念も「発明」された

 ドイツの大学の講義一覧を史料として分析してみると、講義題目に「栄養」という言葉が使われるようになるのは1870年代だということも初めて知りました(8ページ)。日本で言えば明治初期ですが、この時期まで食物を「栄養」という概念で眺めるということは一般的ではなかったということが新鮮に感じられました。本章の執筆者の南さんは「近代国家においては、家庭での日常的な食生活のレベルにおいても、食の知識を普及することの必要性がしきりに主張されるようになった。とくに問題となったのは、労働者家庭に対する食の教育である。」と指摘しています(9ページ)。
 そこでターゲットになったのが労働者家庭の主婦や若い娘たちでした。栄養に気を配った「健全な」食事を提供できる知識をもった女性をいかに育てていくのか? これが家政教育や家庭科教育の課題となっていくという流れの分析(10ページ)はたいへん興味深いと思いました。


 本書では他にも学校の体育への軍事教練の影響(第2章)や、科学的な近代医学に代わって自然治癒力を重視する「オルタナティブ医療」の動向(第6章)、幕末から明治初期の在村医の医療活動(第8章)など興味深い研究成果が収録されています。身体と医療の問題がさまざまな学問を横断する学際的なテーマとなっていることが分かる本ですので、是非おススメします。

https://hon-navi.com/?p=867

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