感染症対策の進展は「細菌」発見が鍵だった!

西迫大祐 著『感染症と法の社会史――病がつくる社会
(新曜社、2018年)

 新型コロナウィルスが流行したことがきっかけで感染症についての関心が増しました。以前、山本太郎『感染症と文明』を読みましたが、今回は西迫大祐『感染症と法の社会史』を読んでみました。

過去記事もご参照ください

コロナ以前の感染症に人類はどう対処してきたのか?

山本太郎 著『感染症と文明――共生への道――』(岩波書店、2011年) コロナ禍で感染症への注目が急増  2020年始めから新型コロナの感染が広がるまでは感染症というものにほ…

「小さな」+「生物」=「細菌」

 本書の著者、西迫大祐さんは法哲学を専門とする研究者です。本書では、感染症に対処するために西洋、特にフランスでどのような法律が制定されてきたのかについて18世紀から19世紀を中心に検討しています。
 この時期のランスで流行した感染症はペストとコレラが代表的ですが、19世紀の終わり頃まで、両者が細菌によって引き起こされると明確には認識されていませんでした。パスツールというフランス人が「細菌」という言葉を作ったのが1878年です。山本氏の『感染症の文明』でも感染症に対する医療の進展は解説されていますが、西迫氏の本書はフランスでの感染症対策の進展が詳しく言及されているのが特徴的だと思いました。パスツールはワインを発酵させる微細な生物のことを、ギリシア語から借用した「小さな(mikros)」「生物(bios)」という語を合わせて「細菌(microbe(ミクローブ))」というフランス語に作り直しました(274ページ)。パスツールはドイツ人医師のコッホと競い合うように細菌の研究に取り組み、黄熱病、コレラ、結核、ペストの原因となる細菌が次々と発見されていきました。「感染症との闘いは細菌との闘い」になったという西迫氏の指摘(274ページ)は重要だと思いました。

「追放」という感染症対策


 病原としての「細菌」が発見される以前の感染症対策はどのようなものだったのでしょうか? 本書の「序章」では古代ギリシアから中世までの感染症対策が取りあげられています。紀元前に書かれたトゥキディデスの『戦史』にも疫病についての記述があり、疫病の原因は漠然とした「汚れ」を意味する「ミアズマ」であるとされていました(22ページ)。この「ミアズマ」は空気の汚れである「瘴気(しょうき)」をも意味し、汚れた者を追放したり、瘴気(しょうき)から逃げたりする、というのが感染症対策の原型となりました。
 

「細菌が育つ土壌」を狙い撃て!

 さて、パスツールによる「細菌」の発見以降には、「細菌」と闘う公衆衛生が感染症対策となりました。フランスでは1902年に包括的な公衆衛生法が制定されますが、イギリスではすでに1875年に制定されており、ヨーロッパでは遅い部類に入るそうです(270ページ)。
 公衆衛生の内容は①細菌そのものを攻撃すること、②細菌が育つ土壌をなくすこと、の2つがあります。①は細菌を消毒すること、②は不衛生住宅や栄養不足の問題を解消すること、が基本となりました。この2つを合わせて、消毒液や高温のスチームを住宅やベッドに吹き付ける消毒サービスが1900年のパリ万博で世界に向けて紹介されたり、監獄の囚人に強制的にシャワーを浴びさせるという規則も制定されたりしました(275ページ)。
 また、②の栄養不足の問題に関連して、働き過ぎによる過労、貧困、アルコール中毒などが細菌への抵抗力を弱めるとして対策の必要性が議論されました。これらは、住宅の消毒という問題とは異なって、個人の生活習慣や「衛生」観念に関わる問題ですので、対策が難しい面もあるのではないかと思いました。

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